高野文子『おともだち』(3)
高野文子さんの作品「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」を熟読玩味しているワケだが、
タイトルの「鳥」は、もちろん「青い鳥」のことになる。
童話ではあるが、道徳の教本のような内容だった。解説を読んでもメーテルリンクは
童話作家ではなくて思想家であり詩人として紹介されていた。
そもそも、このベルギーの劇作家が1908(明治41)年に「青い鳥」を発表するや
児童書ではなく人生哲学を説いた思想的な戯曲という受け取り方がなされていたのだ。
幸福の青い鳥は、結局は足下の家庭生活の中にある、身近な生活を大切にしろという寓話に
なっているお話であり、大正時代の日本に広がりつつあった、個の解放と新時代の理想を
もとめて自己主張しようとする時代的風潮に「青い鳥」はマッチングした。
では、このマンガの時代となっている大正初期、どれほど日本で「青い鳥」がブームになっていたか。
主人公の少女達が女学校で歌劇として上演するくらいなのだから、相当なものだったにちがいない。
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資料1) 大正期の早稲田大学文科卒論で16名のうち、人気ベスト3は次の通り。
マアテルリンクと表記した)
資料3) いつ頃「青い鳥」は日本に入ってきたか。
明治43(1910)年、はやくも雑誌「スバル」に翻訳掲載。
同年10月~12月 雑誌「歌舞伎」に「青い鳥」翻訳連載。
大正2(1913)年、戯曲「青い鳥」とりで掲載。
「青い鳥」スバル出版
「青い鳥」現代社出版
「青い鳥」大日本図書出版
払われたのだろうか?当時は勝手気ままに翻訳していたのではあるまいか。
ということで、高野文子さんの「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」の背景となった時代の、
メーテルリンク「青い鳥」大ブームをご承知いただきたい。
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もうひとつオマケがありました。
少女笛子さんの両親は流行病にかかって避病院に隔離されてしまう。
そしておそらく死亡してしまったために、笛子さんは叔父さん夫婦につれられてアメリカへと
渡って行ったのです。
その病気についてです。
マンガの中では「熱病」としか描いてないのだけれど、大正時代に大流行した伝染病に、
マンガの時代設定は大正7年となる。
数万人が死亡した。早稲田の島村抱月も犠牲となっている。
いま、世界に鳥インフルエンザが流行しており、いつなんどき人に感染しやすい
新型インフルエンザに変異するかも知らない。
そのような「鳥ナントカ」にうまれて欲しくないものである。