「東京物語」の香川京子さん

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日経新聞の名物記事である『私の履歴書』に、今月は女優の香川京子さんが登場して連載中である。

本日の記事は映画「東京物語」(1953年)に出演して、尾道で撮影した思い出を綴っている。

香川さんは尾道に住む両親笠智衆さんと東山千栄子さんの末の娘である京子役を演じた。

尾道を離れ東京、大阪で生活をする兄や姉とは異なり、彼女は両親のもとで小学校の先生を

しているのである。

小津安二郎監督がまだニューフェイスだった彼女を起用したわけを、

《小津監督は「洗いたての感じがして」とおっしゃっていたようだ》と書いている。

また監督は「君はいつも白い歯を出して笑っているけど、あまり笑わないほうがいいよ」とも

言ったそうだ。それまで彼女はニューフェイスだから笑いなさいと指導されていたので、

まさに反対の指導だった。

「人間はうれしいから笑うわけじゃない。悲しくても笑うことがある」と人間の感情の複雑さを

教えてもらった、と香川さんはいう。

さて、今日の記事の見出しは《原節子さんに尾道熱狂》とつけられている。

 この映画で私が一番うれしかったのは、あこがれの原節子さんと初めてご一緒

できることだった。尾道の旅館で、原さんのお部屋にしょっちゅう遊びに行き、

お話した。夜は、みんなで食事をした。暑い季節だったので原さんもビールを

おいしそうに召し上がっていた。私はもっぱら皆さんの話の聞き役だった。

 原さんを一目見ようと地元の熱狂ぶりはすごかった。

あまりの人出で、原さんは尾道の一つ前の駅で降り、車に乗り換え尾道に入った。

旅館が海側だったので、ボートでのぞこうとする人も現れた。

映画では東京、大阪の旅から戻った母親が病死をする。その病床シーンでの小津監督の指導

について香川さんは、次のように書く。

 監督の指示はきめ細かかった。病床の母親の枕元から立ち上がり、

列車で到着する兄たちを迎えにいく場面。ウチワを四、五回動かしたら、手を下ろして

腕時計を見るように言われた。監督の頭の中には、すでに絵が出来上がっているのだと感心した。

そして、記事の末尾で、香川さんはとても興味深い小津監督の言葉を書きとめている。

あるとき、小津監督は酒を飲みながら、

「ぼくは、あんまり社会のことに関心がないんだ」と話したという。

香川さんは映画『ひめゆりの塔』に出演して、女優も社会的な関心を持たなければならないと

自覚したばかりだったので、ちょっと不思議に思った。

たしかに小津作品は日本の家族問題を撮る映画が主であり、

社会問題を取りあげた映画は撮っていない。

映画監督に「社会のことに関心がない」とはどういうことか、と香川さんの疑問は心のすみに

残っていた。

 しかし何十年かたち、小津監督の語録に「人間を描けば社会が出てくる」との

言葉があるのを知った。深いお考えから出た言葉なのだと、ようやく納得がいった。