消えゆく総合雑誌

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総合雑誌」の定義を「政治、経済、社会、文化全般についての評論を掲載する雑誌」とするのが

一般的でしょう。

作家の丸谷才一さんによれば、総合雑誌がもっとも栄えた時代は1910~1930年ごろとされてい

ます。文学作品も「総合」の主要部分を占めていました。

当時掲載された作品の数々が、いまでは歴史的な傑作として評価されています。

中央公論」には永井荷風谷崎潤一郎の主要作品のほとんどが発表されたし、藤村の『夜明け前』

小林多喜二の『党生活者』もこの雑誌に発表された。

「改造」には志賀直哉の『暗夜行路』、

「日本評論」には釋迢空の『死者の書』などなど。

戦後になると、

「世界」には石川淳の『至福千年』、

「展望」には大岡昇平の『野火』、

中央公論」には大岡昇平『花影』『レイテ戦記』

文芸春秋」には小林秀雄の『考えるヒント』という具合でした。

ところが、今日生き残っている総合雑誌といえば、「文芸春秋」「中央公論」「世界」だけです。

その間に現れては消えた誌名をあげてみると、「改造」「日本評論」「太陽」「展望」「論座」「現代」

と死屍累々です。

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こんな例が適当かどうか別として、似たような現象といえるのが、デパート(百貨店)の衰退と、専門店

の成長です。なんでも売っている便利なデパート(さらに近年では総合スーパーも含めて)の

最大の特徴である「総合性」が、「新鮮」さを「スピーディ」に提供する専門店に追いつけず、消費者

離れが明確になったのです。

総合雑誌もまた、似たような読者離れが起きたといえるでしょう。

それは、驚異の発行部数を誇っていたマンガ雑誌にも似たような傾向があり、

雑誌の発行部数減少に苦しみ、他方では「専門店」になぞらえられる単行本は売れています。

あるいは、氷河期に絶滅したマンモスに総合雑誌をたとえてもいいのかもしれません。

総合雑誌は、その歴史的使命を終えているともいえるでしょう。

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話が横道にそれましたが、丸谷才一さんが昨年11月に朝日新聞に書いた「文学を忘れた総合雑誌

という文章を紹介したいと思ったのです。

丸谷さんは、青息吐息で生き残った総合雑誌が、最近掲載している文学作品について、痛評しています。

最近この種の雑誌でよく見かけるのは、文学的野心も個性的文体もない娯楽読物系の小説で、

つまり総合雑誌は文芸を捨て、手がける領域を狭くし、読者の範囲を限った。

編集長たちは、文学を必要としない人々を読者に選んだらしい。

そのほうが多くの部数を期待できるという見通しだったのだろう。

しかしその結果、総合雑誌は痩せ、魅力が薄れた。

「この種の雑誌」がどこの雑誌をさしているのか、明らかにしていないが、どうやら岩波書店

「世界」と読売新聞の傘下で経営再建する「中央公論」を暗示しているようです。

「文藝春秋」については、次のように持ち上げています。

わが国の国民雑誌ともいうべき「文藝春秋」が相変わらず人気があることの一因は、明らかに

春秋二回、話題の新人の短編小説を掲載することである。

芥川賞直木賞のことでしょう。

そして、アメリカに於ける国民雑誌は「ニュー・ヨーカー」であるとして、

毎号掲載する短編小説と巻末の書評欄を「出色の充実したもので、威信を誇っている。

われわれは雑誌の作り方でもアメリカに学ばなければならない。」

と締めくくる。

丸谷さんの文学の未来への心配は、わくわく亭も同感でありますが、

もはや事態は雑誌編集の方法という領域をこえた、

雑誌や本を買う読者側における大きな意識の変化が総合雑誌の凋落を招いているという、

淋しいことながら、その事実を認めなければならないでしょう。

丸谷さんが「学ばなければ」と優等生扱いにしたアメリカの良心ともいえる総合雑誌

「ニュー・ヨーカー」さえもが、最近読んだニュースでは販売部数の減少に悩んでいるらしく、

日本と同様な状況にあるらしいのです。