弓場氏の『サンカンペンの壺』書評

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弓場敏嗣さんによる『尾道物語・幻想篇』評につづいて、同氏の『サンカンペンの壺』評も

転載させていただくことにします。評者の弓場さんについては前ページをごらんください。

森岡久元(もりおかひさもと)・著:
「サンカンペンの壺」、澪標、2008/1、203頁、1,600円

本書では、日本の一人の商社マンの眼から、今日存在する第2次世界大戦の残滓が照射される。
表題作のほか、「コンゴからのエアメール」、「新橋裏道のリリー・マルレーン」、「歌の行方」から構成される短編集である。

サンカンペンは、タイのチェンマイ近郊の古窯で、そこで手に入れた壺にまつわる話が展開される。

年若い商社マン深町は、父親世代の会社社長坪井とともに、ビルマ国境に近いチェンマイを訪れる。

坪井は、12万人もの戦病死者を出したビルマインパール作戦から生還し、戦後の困難な時期を乗
り越え事業者として成功している。

チェンマイで、深町は坪井から、ビルマの遺骨収集の話を聞く。

「骨を拾うてビニールにおさめる作業をやっているうちに、いつのまにか念仏の声もせんようになって、皆だまりこくって手を動かすようになります。
そうやってますと、わたしらのまわりに、しのびよってくるものが、数はわかりまへんが、おびただしい数にちがいないのが、しのびよってくる気配がしますのや。
いや、ほんまのことですがな。わたしらの肌がその気配を感じ取って鳥肌がたってきます。
いま、わたしらのとこへ来てはんねんな、とわかります。」

夜、ホテルの隣の部屋から、坪井の念仏の声が途絶えない。

「この狭い部屋に、どないしたらこんなぎょうさんな菩薩がはいれるのやら、わかりまへんが、とにかくおいでて、わたしをとりかこんでおいでになっている…。懐かしいて、痛ましいて、悲しいて、申し訳のうて、涙がながれてきよります。わたしのまわりに来てはるものは、そらやさしいねん…。」

30年の歳月を経た酷暑の夏、深町の家で、サンカンペンの壺から沙羅双樹の木が芽吹く。

「生の切実な真実を死者から学ぶこともなく、戦後60年の平和な時代をただ生きてきた」も
のへ弾劾のメッセージを運んできたのか、あるいは、「ただおだやかな自然の訪れ」なのか。

深町は、自分の家の庭から聳え立つ60メートルの沙羅の木の幻影を見る。

先に引用したように、死者との交信の情景がすぐれる。作者は、先の戦争経験を継承することの重要性を訴える。
戦争を知る人間が失われていく状況の中で、その経験を書きとめ次世代に残す努力を持続しなくてはいけない。

なお、「新橋裏道のリリー・マルレーン」は、モンテカシーノ攻防戦のドイツ軍元兵士が技術契約で来日し、シャンソン喫茶でリリー・マルレーンを歌う話である。

「歌の行方」は銀座の中国人ホステス、台湾の事業家と、日中戦争の記憶をからめたもので、歌は「何日君再来」を指す。

「コンゴからのエアメール」はコンゴの内戦が背景とはなっているが、直接先の世界大戦とは関係しない。近年のネットワーク社会で頻発している国際的振り込め詐欺事件を、深刻でなく軽妙に描いている。
2008年4月10日