弓場氏の『幻想篇』評
ご本人の承諾を得て転載します。
工学博士の学位が1982年東京大学から授与されています。
つい最近まで国立電気通信大学大学院教授をつとめておいでになった。
情報ネットワークがご専門であるが、文芸作品についても大変な読み巧者です。
これより先、弓場さんには『サンカンペンの壺』書評もありますが、今回は近著の『幻想篇』評のみを
紹介します。
■森岡久元・著:「尾道物語・幻想篇」、澪標、2008/10、 281頁、1,600円 「活力あふれ感性息づく芸術文化のまち尾道」(尾道市広報の惹句)を故郷とする作者が、苦くも懐かしくもある少年期の想い出を小説として描く。 「奥の池のギンヤンマ」、「横綱が飛んだ、あの九月」、「まもるのアーチ」、「先生の悔やみ状」、「片隅の季節」の5つの作品から構成される短編集である。 前半の3作品は少年期の<幻想>であるが、残る2作品は高校時代の恩師にまつわる話と大学時代のアパート生活と近所の人達との交流が描かれる。 「奥の池のギンヤンマ」は、昆虫図鑑のギンヤンマの写真から記憶をたどり、少年の日のあれを思い出すところから始まる。 あれとは、奥の池近くのさびれた祠に棲む<キチガイ>との遭遇の記憶である。 小学校5年生の光雄は、中学2年生の従兄と二人でギンヤンマを捕りに奥の池にいく。 多くのギンヤンマを捕まえたところに、襤褸をまとい悪臭をはなつキチガイババアが現れ、 「トンボをはなしてさっさといねえ」と怒鳴る。 ババアは、殺された生きものの恨みをはらす憤怒の神を守っており、二人に次のように説教する。 「ピカドンが落とされ何十万という罪のない人間が殺されたろうが。… 恨んだらいけん、懺悔せえとおしえるばっかしで、殺されたもんの恨みを、この国のもんはだれ一人聞いてやっとりゃせん。… まやかしの、おまえらの平和にたたりは必定じゃ。」 二人はババアに追っかけられるが、やっとのことで奥の池を脱出する。 ババアから、「おまえらの家で、白い米を喰うとるもん、甘いもんを喰うとるもん、皆にたたってやる」との捨て台詞を聞かされる。 たたりは、従兄の母の死となって現れる。 恐怖にかられた光雄は、奥の池にいき母へのたたりをやめるように懇願する。主のいない祠に祭られた黒い彫像は、赤く塗られた両眼から憎悪を放射し、光雄をとらえる。 怖くなって逃げ帰った光雄は母の匂いの残る風呂場にとびこみ、 「僕はこれからもずうっと、奥の池のことは、母に話すまい」と心にきめる。 少年の日の悪夢のような1日の記憶に、透明な翅を輝かせて飛翔する空色の腰をもつギンヤンマの描写をからませる。瀬戸内海の暑苦しい夏の昼下がり、美しいギンヤンマが飛びかう情景と空気が活写されている。 雰囲気、出来事、社会的主張、子供同士の交流、母子の情愛、これらがうまく混じりあった上質の短編作品となっている。 5つの短編の中では、「横綱が飛んだ、あの九月」が評者の好みにあう。 脳出血の後遺症に悩む63歳の男は、中学1年の頃の想い出を幻想する。 標題の横綱は栃錦であり、取り組み相手は大関若乃花である。 磨いた石ころとおもちゃのメンコを、同級生とこの取り組みに賭ける。 幼馴染の同級生への恋心などが絡められ、同時代を生きた評者としてはわくわくさせられる。 最後のオチが素晴らしい。 短編小説の極意が発揮されている。 (略) 広島弁の使い方も、同郷人にはある種の懐かしさの効果をもたらすが、一般にはどうだろうか? もう少し読みやすい、適切な制限された用法があってもよいかもしれない。 評者は、著者と同年代を瀬戸内海の因島(現尾道市)で過ごしている。子供時代の夏の空気、遊び、大相撲放送などが楽しく思い出される。 そうした時空間の共有記憶というバイアスがあるので、なおさらに興味深い読み物であった。 これが、例えば、アメリカの片田舎で第2次世界大戦前における<幻想>であれば、よほどのストーリ性とオチが用意されてないと楽しめないかとも思う。 著者森岡久元は1940年生まれで、4歳から18歳までを広島県尾道市で過ごした由。 現在は東京都練馬区在住。本作品は、「尾道渡船場かいわい」、「尾道物語・純情篇」と合わせ て、尾道3部作を構成している。