庭に大麻が?

イメージ 1イメージ 2




















今朝の新聞を見ていて、

「あの写真とってこよう」と女房に言うと、庭下駄をつっかけて、玄関前で一枚、庭のエアコン屋外機の

ところで一枚、と撮った写真がこれです。

どちらも、植えたわけではないのに、9月の中頃にひょっこりと芽をだしてここまで伸びてきた草であ

る。

「まさか大麻じゃないだろうな」と冗談を言っていた植物である。



読んでいた新聞記事とは、慶應大の学生が学内で乾燥大麻を売って警察に逮捕されたというものと、

平塚市で家を借りて大麻栽培をしていた2人が逮捕されたという記事。

二つ目の記事によれば、借家で大麻草112本を栽培していたらしく、大きく育てば、一本から500グ

ラムの乾燥大麻がとれて、末端価格で2億2千万円になったということだ。

このまえも法政大で似たような事件があって学生が逮捕されている。



大麻草の写真をみつけたので、見比べてみる。葉っぱの形が違う。葉の周りにあるぎざぎざが、わが家

の草にはついていない。

わが家のものは「大麻草」ではない。

それは若い「モミジアオイ」なのであります。

来年の夏には赤い大きな南国風の花を咲かせてくれるでしょう。



イメージ 3

さて、大麻マリファナ(乾燥大麻)のことである。

この種の事件が連発して、絶えないのはなぜだろうか。

いくつもの原因が考えられるだろう。

そして、その原因のひとつが内外の取締法、

罰則における大きな落差にあるのではないか。

スポーツ選手、アーティスト、芸能人、出版業界人、

学生、と職種は異なるが、外国旅行や海外生活の

体験者にとって、煙草の喫煙とかわりなく欧米では

大麻喫煙や吸引が日常的に行われている状況をみて

くると、日本での「犯罪意識」「罪悪感」が

きわめて希薄になるのではないか。

欧米では大麻喫煙は「常識」だという現実を知った若者たちは、それを取り締まる日本の法規制

を「リアル」に受けとめていないのではないだろうか。逮捕されてはじめて日本の法規制の

現実を実感するのだろう。


にわか勉強だが、マリファナとはスペイン語で「安いタバコ」を意味したらしい。

タバコ代わりに乾燥した葉っぱを巻いて吸っていた時代があったのだろう。

そのために、国や地域によって大麻の法的取扱には大きな差異がある。

習慣性や依存性が問題にされて麻薬として禁止し、違反者には厳罰を処す国もあれば、合法化している

国まである。

G8の参加国で、日本以外はすべて大麻所持は軽い罰金刑程度であり、きびしい取締はおこなっていな

い。

イギリスでは個人使用のための所持は、2004年からは取締対象外となったから、パブのまわりで

紙巻きタバコのようにして大麻は自由に喫煙されている。

オランダ、ベルギー、ドイツ、カナダ、ロシアでも、少量の所持は処罰なしである。

アメリカでは州や市によって法律に違いはあるが、たとえばカリフォルニアでは、医療目的であれば

買うことが許されている。(ということは、少量の所持に処罰はないということ)

それで、大相撲の一行がロサンゼルスやサンフランシスコに行くと、関取たちはあそびで大麻

吸ってみたりするのである。

ロシア出身の力士は、日本に来る前までは自由に大麻は吸うことはできたのである。

さあ、こうなると大麻を少量所持しても逮捕して厳罰に処する先進国は、この日本だけである。

ほかの国では、大麻の習慣性、依存性はタバコ、アルコール、ヘロインなどより下であり、タバコのよう

な発ガン性の危険度も低いと認めた結果なのである。

しかし、日本には『大麻取締法』なるものがある。

外国はどうであれ、日本では大麻の売買はもとより、所持であれ、栽培であれ厳罰に処される。

禁止薬物と同じものだということを、しっかり認識する必要がある。

大麻が吸いたくてならない人は、日本に住むことをやめてイギリスに移住するしかない。


わくわく亭が近頃読んだ大友克洋の作品集『ショートピース』の中に、「大麻境」という短編があった。

貧乏学生3人が、先輩から手描きの地図を買わされる。先輩は山歩きをしていて「大麻」の自生地を

見つけてきたのだ。その証拠として一枚の大麻の葉っぱをみせられる。

3人は一儲けしてやろうと、その地図をたよりに大麻の「魔境」さがしに信州へ出かける。

やっと目的地に来てみれば、ゴルフ場に改造中。

しかし、一本だけ自生した大麻をみつけた。

がっかりした彼らはどうしたか。

彼らも又、改良した地図をつくり、大麻の葉っぱのサンプルを見せることで、大学の大勢の学生に

地図を売るのである。

さあ、その地図をたよりに学生たちがラッシュとなって信州の「大麻境」へと押しかける。


これはもちろん、大友の「諷刺」である。1978年の作品。

いまから30年前の若者の「大麻観」を諷刺したものである。

しかし、「大麻」というものへの若者や学生たちの「ゆるい」犯罪意識と好奇心は、いまもすこしもかわ

っていないということである。いや、現代はもっと「ゆるく」なっているのではないか。