「無名塾」の帰り修業とは?

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俳優仲代達矢さんが主催する「無名塾」は新劇俳優の養成塾として知られているが、仲代さんが「無名塾」と名付けた真意が語られていた新聞記事があったので、興味をもって読んだ。

塾をはじめて、すでに33年。たくさんの塾生が世に送り出された。国や企業からの資金援助は受けず、
また塾生には授業料の負担をかけず、仲代さんの個人負担でひたすら俳優の卵を育ててきた。

塾を巣立ち、プロになった俳優は多い。しかし「売れないかな」とキョロキョロするうちに終わっていく俳優も多い。一度売れると、売れた使われ方に気をとられて、努力をさぼっているうちに落ちてしまう。

自分の芸に垢がついてしまうことに気がつかないと、そういう終わりかたをしてしまう。

俳優というのは使う側が、成功した役と同じイメージを求めて起用する。

当然ですが次第にマンネリになっていき壁にぶつかる日が来ます。

その時にもう一度「無名」になった気持ちで戻ってこいと、無名塾という名を付けたのですが、

なかなかもどってこないですね。

プロは自分の芸に垢がついていることに気づき、初心に返る「帰り修業」が必要だと、仲代さんは
考える。

彼がアメリカの俳優養成所である「アクターズ・スタジオ」を見学したとき、ロバート・デ・ニーロ
などの有名なプロたちが、そこに戻って演技を見て貰い、自分たちの芸を洗い直している場面を
見たそうで、それが「無名塾」でやりたかったことだったと語る。

俳優はこれで食えるという引き出しだけで芝居をするようになりますが、

それは質の高さではないのです。

(わたしは)ベテランと呼ばれる年代になっても、新しい役に立ち向かう時には、いままでに自分で

作った引き出しをぶち壊そうと思う。壊したいからこそ私も、新しい役に挑戦し続けているのです。

わくわく亭も、自分で得意な小説スタイルがあります。仲代さんがいう「引き出し」ですね。

そのスタイルであれば、ある水準の作品がいつでも書けるというものです。

「それは質の高さ」ではない。

それをみずからぶち壊して、新たな質の高みに挑戦する……。

その言葉、その姿勢に共感します。