シャネル日本社長初恋相手は瀬戸田の娘
『遙かなる航跡』という小説がある。2006年に日本語に翻訳されて集英社から出版された。
著者はフランス人のリシャール・コラスさんである。
氏はフランスの高級ブランド、シャネル日本法人の社長さんである。
いま、銀座には十階建ての「シャネル銀座」ビルがある。2004年にコラス日本支社長が本社へ
提案して建設されたもので、1250平方メートルという世界最大級の店舗面積を誇る。
コラス氏が日本支社長に就任したのは1995年で、いま売上は1000億円といわれ、社長になって
以来13年間で年商を3倍に増やした功労者である。
そのコラスさんが、日本女性との、あま~い恋愛小説を書いた。
それが『遙かなる航跡』である。
なぜ、わくわく亭が、コラスさんの小説を記事にするかというと、(実は小説は読んではいなくて、
「こってりしたチョコレートケーキを食べてるような甘さ」だとの感想もあれば、
「ちょっと暑苦しい、ロマンティシズムにむせながら読んだ」という評もあれば、
あるいは、つぎのような評論家の深田祐介氏の絶賛もある。
18歳のフランス青年が日本を初めて訪れ、瀬戸内海の島の少女と恋におちた1972年と、 現在の日常を往復する形で展開する。 片言の英語で話しかけてきた無邪気な美少女が、夏祭りの夜、浴衣姿で隣の島からモーターボートを運転して現れる。 盆踊りの興奮、花火のとどろきのうちにフランスの青年はこの島の美少女と結ばれる。 その後のめくるめく、情熱の日々……。 日本文化の理解度の深さ、確かさに敬服し、読者はこの知日派作家の誕生に 日仏関係に及ぼす歴史的意味を感じとる。 ついにフランス人芸術家の日本理解はここまで達したか、と深い感激に包まれるのだ.
この小説誕生のいきさつが、ある雑誌でのインタビュー記事に紹介されている。
とりあげた。それを見た集英社が「本を出しませんか」と誘ってきた。
日本人編集者がインタビューして、それをもとに日本人が執筆するという提案だった。
コラスさんは18年くらい前から小説を書いていて、本を出版するなら自分自身で執筆したかった。
そこで、「自分で執筆したい」と逆提案をした。
コラスさんには、どうしても書きたい青春の思い出があった。18歳のとき、一人で初めて日本を
旅した仕合わせな記憶をもとに、小説を書きたかった。
すっかり日本と日本文化に魅せられてしまった。
フランスに帰ると、大学では日本語を勉強し、卒業すると日本駐在員を募集していたジバンシィに就職した。のちに1985年シャネルに移り、日本滞在は30年を超すことになった。
コラスさんは、執筆の動機をこう述べている。
まず、日本がどれほど素晴らしい国か、そして日本人がどれほど魅力ある民族かという事を、 日本の、そして世界の人々に知ってもらいたい、という事。 そしてもうひとつは、僕と同世代の方々へのメッセージです。50代、人生の2/3ぐらいのところで 自分の人生を振り返って、『私の生き方はこれでよかったのか』と自らに問いかけて悩む、その気持ちを共有する事ができればと思いました。
この小説はフランス、アメリカでも出版される予定だそうだ。
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わくわく亭は、昨年のいつごろだったか、東京尾道事務所に遊びに寄ったところ、
雑談に加わることになった。
その席で、『遙かなる航跡』が話題になったのである。
「わくわく亭さんは、その本を知っていますか」
「知りません」
「あなたの本とは大違いで、濃厚な官能描写がすごいんだよ。さすがにフランス人の本だな~」と
某氏。
「シャネルは知っているでしょう。シャネルの日本支社長が書いた小説でね、彼が18で日本を旅行したとき、東京で日本人の女子学生と恋愛してね、彼女が瀬戸田出身だったので、一緒に生口島に行ったんです。その体験を書いた自伝的な小説だということです。
その作者のコラスさんから、尾道市に『遙かなる航跡』を映画化したいという提案が来たんです」
その作者のコラスさんから、尾道市に『遙かなる航跡』を映画化したいという提案が来たんです」
「すごいじゃないですか」
「映画化の費用はすべてシャネルが持つというんですよ」
「すごい」
「美人女優をだれにするかとか、監督はOさんがどうだろうかとか」
賑やかに「映画化」談義があったあとで、瀬戸田の選挙の話になったところで、わくわく亭は部外者
だから遠慮して、失礼した。
その後、『遙かなる航跡』映画化がどのように進展しているものか知らないのだが、
それはそれとして、リシャール・コラスさんの日本好き(あるいは日本女性好き)は「筋金入り」だとい
うことだ。
8月26日には「フランス文学界にジャポニスム」という記事を書いたばかりだが、
コラスさんの小説もまたネオ・ジャポニスムであろう。