太明成化年製
それでこの、わが家の「赤絵」をUPすることを思いついたというわけ。
「万暦赤絵」とは中国明代の万暦年間に景徳鎮の官窯で焼かれた磁器のうち、華麗な赤い絵を
施したものをいうのである。
わくわく亭にある、この赤絵の蓋付き鉢には「万暦」ではなくて、「太明成化年製」という銘が
高台のうちにはいっている。
明代の成化年間製という表記なのだが、もちろん中国明代のしろものではない。
では、にせものか、というと、単純にそうとも言えないのである。
明代景徳鎮の陶磁器はヨーロッパの貴族たちの間で、大変に珍重されていた。そこで日本の伊万里などの
窯元ではヨーロッパへの輸出用として景徳鎮の模倣品をつくった。その模倣品に「大明年製」などの
銘をいれたのである。
古伊万里のなかに、そうした輸出用の銘をもった逸品がたくさんあるのである。
万暦は明代も終末期であるが、それより前の1465~1487年の成化年間は、すぐれた陶磁器が
つくられた時代であることから、伊万里焼の窯元では「成化年製」銘をとくに好んだ。
そこで「大明成化年製」「太明成化年製」「成化年製」などの異なる銘が、
時代によって用いられたのである。
さて、わが家にある「お宝」である。
江戸末期から明治時代にかけて、輸出用に大量に作られたものの一つだろうと思われる。
中島誠之助先生に鑑定してもらったわけでもないが、骨董品としての価値は知れている。
それよりも、わくわく亭の女房が、よくこぼすことがある。
女房が結婚してわが家にきたとき、
「おかあさんが、この鉢にお漬け物をいれて出したから、びっくりしたのよ。あかあさんは
使った後、磨き粉をタワシにつけてゴシゴシ洗っているから、お母さん、これはそんな使い方
するものじゃないんです、と話したのよ」
母は、父が買ってきた骨董や焼きものを、どんなものでも飾り物とせず、実用品として
使っていたらしい。
いかにも、わくわく亭のおふくろらしいのである。
というわけで、UPした「太明成化年製」銘の赤絵鉢は、タワシのあとが立派に残っている。