徳永英明が知ったという歌の力

朝日新聞土曜特集版に、渡部薫さんという記者が徳永英明について3週連続で記事を書いた。

今日のが3回目、つまり最終回。



2001年5月の新潟市でのコンサートの途中で徳永英明は発病した。

ツアーは中止となり、1年8ヶ月の休養を強いられた。

病気の予兆は1993年ころからすでにあったらしい。

原因不明の頭痛と倦怠感。

病名は「もやもや病」という。

「脳へ栄養を送る太い動脈が狭まり、それを補うために多数発生する細い血管が煙のように見えることか

ら名づけられた難病(特定疾患)だ」そうである。



「幸い、病状は重篤ではなかったが、狭い血管を補うために、細い血管は今でも脳内で伸びつづけてい

る」という。

医師に、徳永はこういっているそうだ。

「先生、僕は特別な血管を持つ進化した人間だと考えることにします。そして、これからも歌いつづけま

す」と。



そのころ、彼は「女歌」を聞いて、聞いて、聞き込んでいたらしい。

そしてカバーアルバムを出そうと考えた。



シンガーソングライターだという「変なプライドは捨て、名曲の歌い手に徹することで、再出発しよう」

と決意する。

聞き込んだ「女歌」の「国宝級の歌の力に圧倒され」ながら、そうした数々の名曲への深い尊敬と愛情

をもって、ひたすら歌うことに徹する覚悟ができあがった。

歌の持つ本当の力を知った。



デビュー曲である「Rainy Blue」の作詞をした大木誠は、復帰後の徳永が歌う歌声を聞いて、

彼の声の変化について、こう語っている。

「何かを突き抜けた声が脳天に響いた。徳ちゃんの歌声で、初めて体が震えた」



財津和雄が作曲して沢田知加子が歌った、1990年の「女歌」である『会いたい』を

徳永英明の「1/fのゆらぎ」をもつ歌声で聞いてみよう。