毛利さんの『尾道渡船場かいわい』評
しました。
ブログにUPしてもいいと毛利さんの了解を得てありますので、全文を披露することにします。
『尾道渡船場かいわい』 森岡元久さんの『尾道渡船場かいわい』をはじめ尾道を舞台にした一連の小説は、 帰省するたびにJR尾道駅に接した書店の店頭に平積みされているのを目にしていました。 先日の尾道サポーター会でお目にかかる機会があり、拙著『世界遺産と地域再生』と 『サンカンベンの壷』を交換させていただきました。 そうしたら拙著の新刊紹介を森岡さんのブログに紹介していただいた上に、 故郷尾道を書いたものを読んでもらいたいと上記の『尾道渡船場かいわい』と 『尾道物語・純情編』を贈っていただいたのでした。 いつになったら読めるのだろうか気になりながら、東北の盛岡、平泉に出かけてきました。 平泉は残念ながら世界遺産の登録が延期になりましたが、平泉に関する最近の歴史学、 考古学、宗教美術の研究成果を発表する研究会が、7月26~27日に平泉で開かれたからです。 27日に帰京し、ふと森岡さんからいただいた本のページをめくったところ、 思わず目に入ったのは主人公の高校時代の教師でした。 というのも、その教師は盛岡の学校に職を得て、その後尾道の高校で国語の教師を つとめているという設定なのです。 盛岡でNHK盛岡局のO副部長とカナダのケベックで開かれた世界遺産委員会の取材を肴に食事をし、 大いに盛り上がったのですが、合間を見て石川啄木の「新婚の家」や 不来方城(盛岡城)址にある啄木や宮沢賢治の石碑を見てきたばかりだったからです。 森岡さんの小説に出てくる国語教師は生徒たちの文芸活動に熱心で、 「備後賢治の会」を結成するのです。 これもなにかの縁でしょうか。普段小説を読む時間がないのですが、 書名にもなっている「尾道渡船場かいわい」を一気に読んでしまいました。 自伝小説なのでしょうか高校生から大学生時代の恋愛と 学校生活や家族関係を描いた青春小説です。 昭和30年代の尾道が舞台。 今はすっかり姿を変えた港町尾道の渡船場かいわいの描写は当時を彷彿とさせます。 主人公が高校生から大学生と成長するにつれ純愛から相手の女性を肉体的にも 意識するようになる変化が描かれます。 作者が50歳代の時に書かれた作品でしょうから、 青春の懐かしい思い出といってしまえばそれまでですが、 そのみずみずしい感性がうらやましくなります。 とはいえ、その一方ですでに還暦を迎えた小生にとって面映いものを感じるのは やむをえないことでしょう。 小説の手法として、50歳代であろう小説家の高須さんが 24歳の時に書いた古原稿をたまたま見つけて、 気負った若書きの原稿の内容を随所に引用しながら若き日の思い出を語るという方法が、 効果的に採用されているのはさすがと感心させるものがある。 森岡さんの作品の1作を読んで感想を記したが、 それにつけても歴史遺産である尾道の港湾風景が今はすっかり姿を変えてしまったのを 惜しむのは私ひとりではないだろう。 人口減少、少子高齢化が進む日本にとって“懐かしい過去”が 何にもまして重要になることを拙著で強調したが、 その縁もあって故郷尾道の懐かしい過去に出会うことができた。 皆様も森岡さんの作品を読まれることをお勧めしたい。 できたら小生の『世界遺産と地域再生』にも目を通していただければ幸いです。 盛岡の不来方城(盛岡城)址で、以下の石川啄木の短歌の石碑を目にした。 不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
さいごに、紹介された不来方城(こずかたじょう)に残る啄木15歳思春期のころの歌は、