徳永英明の歌声の秘密

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昨日7月19日、朝日新聞の「Be on Saturday」紙面で徳永英明の「心和ませる歌声の秘密」

という記事を読んだ。

わくわく亭は5月31日に「1/fのゆらぎの歌声」というタイトルで徳永のことを書いたのだが、

朝日の記者渡部薫さんの記事の紹介かたがた、“1/fのゆらぎ”とはなにかを、もう一度話しておこう。

渡部さんの記事を、とびとびに引用させていただこう。

          
「時代」「駅」「ハナミズキ」「恋人よ」―彼の「女歌」を聴いて「癒される」という女性は多い。

「彼の歌は内容が熱くても。聴くと落ち着く」とファンは言う。

なぜか。

日本音響研究所所長の鈴木松美(67)は、徳永の独特の「シルキーボイス」について調べたことが

ある。「結果は『1/fゆらぎ』がある、とても珍しい声だったんです」

小川のせせらぎや波の音など、心地よいとされる音にある特殊なゆらぎを、徳永の歌声も持っていた。

女性歌手の名曲をカバーし、05~07年に発売した「VOCALIST]シリーズは累計350万枚

の売上を記録。

徳永の「女歌」は、たとえ切ない恋に身をよじり、愛の孤独にふるえる歌であっても、聴き手に

安らぎを運ぶ。原曲の芯を損なわずに、生々しい情念を絹で包み込むように響く。

だが、その才能に徳永が向き合い、受け入れるまでには、長い時間がかかっていた。

86年にデビュー。「輝きながら」で念願のヒットに恵まれた。しかし、同時に葛藤も抱えた。

難病を患い、1年8ヶ月の休業もした。思うように歌が売れない時期もあった。

業界で「一度低迷したアーティストが、40代でここまで売れるのは奇跡に近い」といわれたV字回復。

一度失いかけたからこそ今は思う。

「自分の声は大切な楽器だ。人に歌を届けるために、自分はここにいる」

          

わくわく亭は中島みゆき一青窈が好きではない。中島のうなるような「おやじ」声が嫌いなのだ。

一青窈の演歌っぽい節回しが、くどくて嫌いなのだ。

ところが、おなじ曲を徳永の歌声で聴くと、「時代」にしろ「ハナミズキ」にしろ、

文句のつけようがない名曲であることを認める。

なぜか。

徳永の声の質、彼の「1/fのゆらぎ」といわれる歌声に聞き惚れてしまうからである。

彼の声に、こちらの自我がとろけるように、無抵抗にゆだねてしまう。

それがモーツアルトの曲や、波の音、小鳥のさえずり、風の音とおなじ、人間にいちばん

安らぎをもたらす1/fの「ゆらぎ」があるからなのだ。

僕は07年10月30日の記事『1/fゆらぎ』のなかで、それがどんなものなのか、物理学者から

ちょっとにわか勉強したものを書いているので、ここに再掲載します。



          “1/fゆらぎ”とは何か?



 “ある物理的な量や質が刻々変化するとき、その量や質が平均的には一定の周期、

間隔を示しているようにみえますが、正確に測定すると、わずかにズレが生じていることがあります。

それは予測できない微妙なズレで、それが「ゆらぎ」なのです。

自然界にあるすべての現象には変化があり、ズレて、ゆらいでいます。

星のまたたきは決して等間隔ではないし、打ち寄せる海の波にもズレがあります。

太陽や星でさえ、すこしずつ、ゆらぎながら軌道運動しており、大体の動きの予測はできても、

完璧な予測はできません。岩石だって、温度によって膨張したり、収縮します。

小川のせせらぎ、そよふく風、木漏れ日、鳥のさえずり、白銀の世界でかがやく陽光、

かげろう、などなど、自然界の現象には「ゆらぎ」が満ちています”



人間の生体リズムにも「ゆらぎ」がある。

心臓の鼓動や体温の変化、呼吸数にも変化がある。脳波にもズレがある。

「ゆらぎ」のある人間がつくるのだから、人間のつくるものすべてに「ゆらぎ」がある。

手拍子、和太鼓の響きには、正確なメトロノームにはみられない「ゆらぎ」がある。
 
「ゆらぎ」にも種類があるのだが、そのなかで「1/fゆらぎ」が人体の生体リズムと同じなのだ。

そのため、1/fゆらぎは人間に心地よさなど快適な感覚を与えてくれる。

手作りのもの、たとえば水墨画、浮世絵、切り絵、織物、染め物、漆器、陶磁器、

といったものが懐かしさ、美しさ、優しさ、温かさを感じさせるのは、

すべて1/fゆらぎのせいなのだ。


バッハ、モーツアルトの名曲や日本の歌なども「ゆらぎ」が多いそうだ。


人間の生体リズムに合った曲は、聞く人の生体リズムに共鳴して、魅了する。

しかし1/fゆらぎになっていない現代音楽は、作為が強すぎて、別種の「ゆらぎ」になっているらしい。


人間がつくったものであっても、機械加工して精密なものにしてしまうと1/fゆらぎは失われてしまう。

機械的に大量生産された製品、近代的なビル建築には1/fゆらぎは存在しない。

正倉院法隆寺出雲大社に感じるもの、あれが「1/fのゆらぎ」ですね。