長崎出島のビリヤード
江戸幕末に長崎出島にやってきたオランダ商館員が撮った写真を紹介していますが、たいていの人が中学、高校の「日本史」教科書で見たことがあるはずの「出島」の写真です。
はじめの写真は、グラバー邸あたりの高台から撮った手前大浦外人居留地と、前方湾内に横に長く見えている出島です。
つぎの写真は、出島の内部を撮ったもので、これはめずらしいものです。
さて、この写真が撮影された頃からおよそ55年ほどさかのぼります。2008年の現在から203年以前となる文化5年(1805)のことです。
この出島のオランダ商館の中でビリヤードの遊びを見たこと書き残した人がいます。
とても短い記述です。
文化2年3月21日、出島の水門よりカピタンの部屋に入りて、
台の上にて玉をつくたわむれを見る。玉突きの戯をマリエットスベールという。
黒坊二人出て拝す。頭を布にてまとう。一人は16歳、14歳なりという
長崎は鎖国日本でただ一ヶ所外国貿易が許された港でした。貿易相手国は清国(中国)とオランダの二国だけでした。
対日貿易は莫大な利益になるので、諸外国も通商をもとめるようになり、文化元年(1804)になると、ロシアが軍船を長崎に送ってきて通商を求めました。
そのロシアとの交渉にあたるため江戸から特使が派遣されてきます。その人の名は遠山金四郎といいます。映画やテレビで人気のある背中に桜吹雪のイレズミをいれていたという江戸町奉行の「金さん」も金四郎ですが、その金さんのお父さんです。
ロシア軍船が長崎港を去った後、お役人たちは、とにかくほっとして、市内の巡察に廻ります。そのとき長崎奉行、金四郎、直次郎たちは出島のオランダ商館長ドゥーフの宴会に招かれました。
商館にあるものは、直次郎にとっては、どれもこれも珍しいものばかりでした。
商館にあるものは、直次郎にとっては、どれもこれも珍しいものばかりでした。
コーヒーのことを書いています。
カウヒイというものをすすめられる。豆を黒く炒って粉にし白糖を和したるものなり。
こげくさくて味わうにたえず。
部屋の中のガラス張りの障子、天井のシャンデリアに目をうばわれます。
食事の給仕に出たジャワ地方からやってきた黒人少年たちを初めて見てびっくりしました。
食事の給仕に出たジャワ地方からやってきた黒人少年たちを初めて見てびっくりしました。
酒はグラスで《チンダ酒》を飲みました。ワインのことです。コーヒーとちがいお気に召したようです。
この酒宴の後でビリヤードを見たのでした。オランダ人がプレーしてみせたのでしょう。あるいは黒人の少年たちもプレーしたかもしれません。
おそらくビリヤードはオランダ人たちによって、この時よりはるか以前に日本へ持ちこまれていたことでしょう。
わくわく亭も、やるときはやっているのです。(笑)