大相撲もやってきた

イメージ 1

きのうは尾道にやってきたプロレス興行の写真をUPしましたから、片手落ちのないように、大相撲の興行もあったという写真をUPしましょう。

戦争の被害が少なかった尾道には、戦後数回にわたって大相撲の地方興行がまわってきました。

場所は「市内吉野町新浜の埋め立て地」とある。背後に見える山は「東手崎」の山です。

カメラは尾道水道を背にして、山側に向かった位置に立っていたことがわかります。

この写真は昭和何年のものか正確には分からないのですが、写真の説明に「土俵入りをすまして引き揚げる大関松登関」とか「右の横綱は誰であろうか」とあります。

松登が大関に在位していた年をしらべれば写真がいつごろ撮られたか、当時の横綱は誰だったかが、分かるでしょう。

松登は昭和30年9月場所後に大関に昇進しています。そして33年11月場所後に大関陥落でした。

写真は秋か春の季節に見えます。すると、大関昇進直後の30年秋とか、31年の春か秋といったところかな。その後は松登は力が衰えて人気も影も薄くなってしまいました。
写真は、松登に元気と自信がありそうだから、やはり30年秋から31年秋のころのものでしょう。

すると、よこにいて土俵入りの順番を待っている横綱はだれか。

その期間の横綱は、千代の山鏡里吉葉山栃錦ということになります。(若乃花横綱昇進を果たしたのは昭和33年)

体形から見て、千代の山でしょう。

わくわく亭には、ちょうどその頃、尾道で大相撲興行を、海岸の埋め立て地に見に行った記憶があるのです。ただ一人、記憶に残っている力士が横綱千代の山でした。
(松登のことはまったく憶えていないのです。人気はなかったから)

栃錦若乃花の「栃若時代」のおとずれる前は、だんぜん一番人気は千代の山でした。

「そばで見ると、千代の山は、やっぱり、すげえの~」と少年わくわく亭は感激したのでした。