歌人(2)

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 西橋美保さんの歌を、もうすこし読んでみます。

 「第一子誕生。お宮参りの春の日から私は歌をはじめた」と詞書きして、


        うまき乳の溢れ流るるわれなれば化粧もせぬに花の香のする


        眠る子のお指を取りて爪切れば砂場の砂がさらりと落ちる


        お幸せねと人に言はれる日々は過ぎ女の幸なんぼのもんか


        満月を指差し「みかん月」と言う吾子五歳にてかく幼きを


 上の第3首は、面白い。神戸生まれの彼女らしい「関西弁」が活きている。

 第4首のこどもの「みかん月」は笑ってしまう。細い月を「みか月」というから、まんまるの月を

「みかん月」といったのかな~。


 しあわせに育った子もあれば、ちいさい命を喪った子もいた。


        張り詰めし乳を捨て捨て思へらく子よ飲みに来よ鬼に抱かれて


        母われに見することなく封ぢたる柩ぞ詰めし花だに見せよ


        おそろしや子供に死なれた母親が道を歩くよ人間(ひと)の顔して


        
 この3首は子を喪った母親のこころねを詠った、いずれも秀歌ばかり。なかでも第3首は、みずからを

せめてしまう母親のくらい顔をみごとに造形しています。


 しかし、つぎの歌は、それを乗り越えようとする、生活力をみせてくれます。


        多産系でも晶子にや負けるが水子だって人数にすればふみ子に負けない 


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 歌集を出したとき、歌人は小5、小3、幼稚園児の3人の男の子の母親でした。その子たちは、いまは

大学、高校、中学に通っているはずです。

 彼女の「あとがき」にある言葉から引用すると、彼女の短歌のルーツがあきらかとなる。

 《…私は長男のお宮参りの日の喜びを歌うことからはじめて、短歌の世界に入ったと人に言い、自分も

そう信じていたのだが、それは幸福な思い違いだった。よく考えてみればそれ以前に子供を喪ったことが

あり、その心情を歌にしては泣き暮らしていた日々があった。だが、歌のことは何もかも、すっかり忘れ

ていた。人間というのは案外簡単に、大切なことを忘れきってしまえるものだ。すべてを思い出したのは

  
何年もたってからのこと…。(略)泣くことを禁じられていた私は、ひたすら歌をつくり、その歌に泣い

た。涙の原因がすりかえられていくことに気づかない私ではなかったが、とにかく生きていかねばならな

かったのだ…》


 歌によって傷心が癒されていったとき、あらためて、定型の歌の力を見た、というのです。そのことを

おしえてくれた生活詠こそが、わが歌の原点であると、歌人ははっきり認識しています。


        忘れよと忘れてしまへと言はれつつ子の命日も忘れて夏を


               (3)へつづく