遠藤実家の墓

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 
 西東京市(旧田無市)は、わくわく亭が住んでいる街ではありませんが、わくわく亭が病気入院した救

急病院があります。わが家から南に10数キロといったところ。


 昔、関西から上京して、はじめて住んだのが、この街(当時は合併まえで市名は田無市)でした。病院

から歩いても10分ほどの距離でしたから、退院したその足で、むかし住んでいた場所を見てきました。


 昨日はまた退院後の初検診があったので、そのあとで田無の古刹である総持寺にお参りしてきました。

 TBSラジオの番組で、タレントの毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)がいくどか番組で、田無にい

くたび、総持寺遠藤実(えんどうみのる)さんが亡くなった愛妻のために建てたという、お墓のことを

話していたのを、思い出したからです。


 西武線田無駅から徒歩5分のところ。

 ご覧のような立派なお墓でした。遠藤実さんの手で書かれたらしい墓碑銘がありました。

        “一秒の

            時のなかにもわれを見て

                      苦労に耐えし

                           妻は菩薩に

                                   実”


 日本歌謡曲界の大御所になった遠藤さんにも、妻が「苦労に耐え」た時代があったのでしょう。

 こうした墓碑銘をもつ墓を建てる遠藤さんは、正真正銘の「愛妻家」だったといえるのでしょうね。

 
 遠藤実さんは1932年の生まれですから、いま75歳。

 作曲した楽曲は5000曲以上で、そのほとんどが演歌です。

 ちょっと、曲名をあげてみても、いずれも大ヒットした曲ばかりです。

     からたちの花   島倉千代子  1958

     高校三年生    舟木一夫   1963

     星影のワルツ   千昌夫    1966

     くちなしの花   渡哲也    1973

     北国の春     千昌夫    1977



 「北国の春」は台湾、中国、モンゴルなどアジア諸国でも愛唱されています。

 カラオケで唄っている人の多くは、それが日本の歌とは知らず、自国の歌だと思っています。


 わくわく亭は中国に行ったとき、この歌をカラオケで唄いましたよ。100人もの中国の若者の前で 

ね。


 中国では『思郷的人』という曲名です。“故郷を思う人”というタイトルですね。

 日本の歌詞の第一節は“しらかば 青空 南風……”です。

 中国語の歌詞では、こうなります。


         “今日又是藍色天気  南風吹微々”


 元の歌詞の感じは出ています。