ルイス・C・ティファニー(3)

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 ルイス・ティファニーは、1846年生まれのエミール・ガレの2年後に生まれています。

 ガレは早くからガラス工芸をはじめますが、ティファニーは絵画からはじめています。

 ティファニーは1868年から2年間パリに留学します。絵画を学ぶためでした。

 そのころパリでは、ドガ、マネ、ルノワールなどによって日本美術への関心が大きな高まりをもせてい

ましたが、ティファニーの日本美術への関心は高くありませんでした。

 アメリカに戻ったティファニーはステンド・グラスやガラス工芸をはじめます。

 

 そして、1889年のパリ万国博における、エミール・ガレの爆発的な人気を見ることになります。


 300におよぶ、ジャポニスムの影響を色濃く帯びたガラス工芸品によって、ガレは一躍、アール・ヌ

ーヴォーのリーダーとして躍り出るのです。

 ガレの作品に衝撃をうけたティファニーは、さっそくガレの工房へとんでいきます。

 ガレからジャポニスムの影響をうけると同時に、直接日本美術をまなぶのです。

 そうして、1900年のパリ万国博では、100点をこえるガラス工芸品を出品して、センセーション

を巻き起こし、グランプリを与えられ、レジォン・ドヌール勲章を授与されます。


 ガレは1904年に58歳で世を去っています。

 そのために、アール・ヌーヴォーの没落をみることはありませんでした。

 1933年の85歳まで長生きをしたティファニーは、アール・ヌーヴォーの没落とアール・デコ

流行をみることになりました。

 しかし、ティファニーは最後まで、ジャポニスムの流れを受け入れつつ、アメリカン・アール・ヌーヴ

ォーの様式を守り抜いていくのです。


 写真1.は「木蓮と藤のウインドー」4枚組うちの2枚。

     1905~1910年の制作。

     226x94cm(各)

 写真2.は「芍薬文のテーブル・ランプ」

     1906~1910年の制作。