『百日紅』(11)火焔

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 エピソード其の16「火焔」です。

 お栄ちゃんは江戸の花である火事の見物が大好きときている。

 半鐘がジャンとなったら家をとびだして、火事見物に走り出す。

 夜中でも、すぐに飛び出せるように、ワラジを履いて寝ているほど。



 「お栄いたって火事を好みて、夜中といえど十町二十町の場へ見物に往く事しばしばなり…」


 お栄がどうしてそんなに火事が好きなのか訊かれて、こう返答している。


 「テツゾー(父北斎のこと)が甘い物好きで、善次郎が女好きなのと同じで、たいそうらしい

  思いづきなんざねえのサ」



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 花と鼻とではハナちがいの話になりますが、わくわく亭が子供のころ、鼻が悪かった。

 鼻の片方がいつも詰まって、息苦しかった。

 それを言うと、

 「鼻の悪い奴は、放火するって。お前も、そんな気を起こさないように、用心しろよ」と

 妙なことを言われたものだ。

 「どうして、鼻が悪いと放火するんだ」と訊くと、

 「火がどっと燃え上がると、鼻がすうっとするっていうぞ」

 火をつけたりしないようにしよう、と子供のわくわく亭は自戒(?)していた。



 わくわく亭が見るのが好きなことのひとつは、ビルなどの大きな建造物をいろいろな重機で取り壊す現場だ。

 一日見ていても飽きないね。あれも、火事場見物に、どこかにているかな?


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 北斎は生涯に93回転居しており、一日に3回引っ越したことまであった。

 家の中がゴミためのようになると、着替えをするように、家を替えたのです。(合理的といえば、合理  
的かな)

 火事は江戸の花といわれたほど、毎日2,3ヶ所どこかで火事があった。なんでも他国の人に自慢した

がる江戸っ子が「火事は江戸の花」といって江戸名物にしてしまった。だから、江戸の人で、火事に遭遇

したことのないものは、いなかった。

 ところが北斎は幸運にも、75歳になるまで住居の火事に遭うことがなかった。

 そこで、人が火事除けの守り札を書いて欲しがった。北斎は「75歳にして、転居せしこと凡そ56回

なれど、一回も火事に遇ひしことなし…」として鎮火守札を書いて与えたそうです。


 しかし、北斎が80歳になった天保10年本所石原町で火事に遇った。

 もともと衣類や生活道具は僅かしかもっていない世帯だったが、北斎とお栄ちゃんは焼け出されて赤裸

になり、あたかも乞食のごときありさまになったそうです。

 その火事のとき、

 北斎は、筆だけを握って家をとびだした。

 お栄もつづいて飛び出して、まだ火の延焼までには時間があって、家財を運び出す余裕がありながら、

二人は跡も見ずに、逃げ出して行ったということです。

 本所の達磨横町へ転居したものの、筆だけはあったが、硯などの絵の道具がなにひとつない。

絵の依頼があったので、北斎とお栄は、そのあたりに転がっていた徳利を砕いて、底の部分を筆洗として

使い、砕片を絵の具皿にして、絵を画いて与えたという。

 焼け出されて、これまでにないほどの貧苦の生活状態になっていたが、北斎も娘のお栄ちゃんも、

「更に憂ふる色なし」と『北斎伝』(飯島虚心)が伝えています。

 この火事にこりて、それまでにも増して、物への執着心は少なくなったそうです。

 物への執着心が、それまでもゼロだった北斎父娘ではないですか。

 ゼロ以下の、マイナスになったということになりますね。