『百日紅』(6)

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 お話其の23「美女」


 お栄ちゃんが絵草紙屋のもとめに応じて、「北斎娘栄女筆」と署名した美人画を画いた。絵草紙屋のいうことには、北斎の名をいれるよりお栄の名が入ったものの方が、良い値で売れるからといわれたからだ。

 その絵は、ある金持ちの老隠居のもとにおさめられた。

 隠居は画中の美女が好きになって、話しかけ、酒をすすめたりしているうちに、女と夫婦杯をかわしてしまう。女のいる絵の世界に、いずれ自分も(死期が迫ることになったら)入っていこうと考える。

 しかし、絵のなかの世界を、覗いてみてみると、空間があるだけで、草も花もない。

 そこで、絵の作者であるお栄を呼んで、絵に景色を描き足してほしいとたのむ。

 そしていまは、風景のなかにいる女を眺めながら、その中に入っていく日を、老人はしずかにまっている、という話。

 絵草紙屋が、またお栄の絵をもとめてやってくると、北斎が画いた美人画にお栄が名を入れた作を
みせられる。炬燵の中にいる北斎がいわく、「北斎と名をいれるより、もうかるんだろ」と。              


 よく似た物語はあちこちにある。

 ここでは、小泉八雲の『衝立の乙女』を紹介します。(新潮文庫小泉八雲集』から)

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 京都に住む若い書生が、ある日古道具屋で、絵を画いた紙を貼っただけの安い衝立を買った。その絵は
浮世絵の元祖といわれた菱川師宣が画いた美人画だった。(師宣の美人画としては「見返り美人」が有名です)

 若者は衝立の中の美人に恋してしまって、食事がのどを通らない恋煩いとなり、このままでは死んでしまうだろうと医者は匙を投げてしまう。
 彼の師である老いた学者が見舞いに訪れて、衝立の女を呼び出す策をさずけた。

 毎日衝立のまえに座って、女の名前(それは若者が好きな名をつければいい)を呼び続けること。
 いつか、かならず女が返事をするから、そのとき、「百軒のちがう酒屋で買ってきた酒を一杯」女にさしだすこと。
 すると女は酒を飲むために衝立から出てくる、とおしえられた。

 若者がその通りにして、女は衝立から出てくる。男は女に永遠に変わらぬ愛を約束する。
 「もし、無情なことをなさったら、わたしは衝立にもどりますから」と女はいう。

 しかし、衝立の絵は、その後も空っぽだったと言うことだから、男は女を裏切らなかったということだろう、と語り手は言うのである。

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 『百日紅』の話では、隠居が女のいる絵のなかに入り込んで行ってしまおうという話ですが、
小泉八雲の話では反対に、絵の中から、女が出てきて男と夫婦になるという話です。

 2つの話の違いは、男達の年齢の違いによるのです。
 若いと異界から呼び寄せても生活するエネルギーがありますが、老人は死んで異界へと旅だつ
ということになります。此岸と彼岸との違いですね。



 名人が画いた画中の龍や雀が飛び出してしまうという伝説や説話は、日本人の好むところ。

 北斎の娘お栄ちゃんが画いた美人画が、画中から美女が男のもとへと抜け出てくるほどの出来栄えだと杉浦日向子さんは語っているわけです。

 その話の後に、わくわく亭が、小泉八雲の『衝立の乙女』をひいてきたのは、それではお栄ちゃんの絵師としての力量が、浮世絵の祖と称えられた菱川師宣に比肩しますと、わくわく亭は杉浦さんのお栄びいきをバックアップしているつもりなのです。


              『百日紅』(7)へつづく