片岡球子の面構え(2)

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「面構 東洲斎写楽」(1971)

 片岡球子さんは明治38年(1905)札幌の生まれ。したがって、これは彼女の
 66歳のときの作品です。

 文化勲章の受章が平成元年(1989)。

 今年は102歳で、いまなお制作中だというから、普通人のほとんど2倍の人生の時を、
 画家として活躍しているといえる。まさに「脅威」と呼ぶに値します。



 しかし、その才能の真の開花までには、長い歳月を要した。

 1926年に横浜市立大岡小学校の教師になって、小学生に絵を教えていた。21歳だった。
 大岡小学校の先生を退職したのが、1955年で、彼女は55歳まで小学生を相手にしていた
ことになる。

 日本画壇では、彼女の絵は「ゲテモノ」と酷評されて、理解者が少なかったのです。

 大きな転機となったのが、「面構」(つらがまえ)の作品だった。

 彼女の「面構」シリーズは1966年、彼女61歳の年、第51回院展に「足利尊氏、義満、義政」 を出品したのがはじまりだった。

 彼女の日本画の真の評価がなされたのは、この時からだった。「面構」シリーズは日本画壇に
衝撃をもってうけとめられた。

 それ以前の片岡作品は日本画の定型の中で画かれていたといえる。その定型を大きく突破して
独自の片岡世界を描き始めたのが「面構」なのだ。

 片岡球子さんの画家としての真の活躍は61歳に始まった、あるいは第2ステージは61歳から
始まったといえるのではないか。そして、その第2ステージは、まだまだ途中だということらしい。


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 本題の「面構 東洲斎写楽」にもどります。

 この顔、わかるでしょう。

 お面をつけています。おそらくお能の面なのでしょう。

 なぜなら、写楽は能役者だったからです。身につけている衣装も能役者のものに見えますね。

 ところで、写楽の正体は誰なのか。明治の終わり頃から、写楽の実名捜しがブームになって、まるで推理小説まがいに新設、珍説が世にあふれ出ました。

 写楽の正体としてあげられた人物は50人にものぼりますし、まだこのさきにも新発見として新たな名前がでてくることでしょう。

 まあ、日本古代史の「邪馬台国はどこか」論争のように、シロート、クロート入り交じって「歴史ロマン」なるものの格好の題材になりつづけるのでしょう。

 しかし、定説はあります。

 「江戸八丁堀に住す、阿波侯の能役者である斉藤十郎兵衛」が「写楽」です。

 これは『浮世絵類考』という江戸時代の書物に書かれたことで、当時はだれも反論しない、いわば
あたりまえの情報でした。

 (わくわく亭の師匠であります大田南畝蜀山人)も写楽が八丁堀に住んでいる、と書いています。
南畝は完全な同時代人です)

 南畝をはじめとした幾人かが書き継ぎ、加筆訂正して、さいごに斉藤月岑(さいとうげっしん)という考証家が総括しましたものが『浮世絵類考』です。月岑が仕上げたのは写楽活躍期の50年後です。

 ですから、写楽についての事情の知った人たちが、まだ存命中に書いたものを月岑が総括したのです。
写楽と同時代の記録といってさしつかえないのです。この書物しか依拠すべき証拠はないのです。


        参考書として、おすすめの本があります。
        『写楽 江戸人としての実像』中野三敏著 中公新書 760円+税
        2007年2月発行。

 だったら、なぜ写楽はいまだに実名さがしが続けられるのか。

 写楽は、寛政6年(1794)から翌年にかけて、一年にも満たない超短期間しか活躍しなかった画号で、それっきり幻のように江戸の浮世絵界から消えてしまったので、それは不思議がられてとうぜんのことです。

 阿波侯お抱えの能役者斉藤十郎兵衛、と文献に名は書かれてはいても、
「そうよ、わたしは斉藤と顔見知りだった」とか、
「拙者、斉藤が浮世絵を描くところを実見つかまっつた」とか、
「わっしは、蔦屋重三郎のところで写楽とはよく酒をのみましたぜ」
 などという、文献の傍証となる話が、いまだに、どんな江戸随筆にも発見されていないからです。

 定説はあっても、新設、珍説があとをたたない理由がそこにあります。



 片岡球子さんが、写楽に能面をかぶらせた意図は、おわかりですね。

 だれも写楽の顔をみたものがいないからです。

 写楽の不思議を、そのまま不思議として描いたのです。

 しかし、お面があるために、面の目の穴からのぞいている、人物の瞳が、なんともいえぬ不気味さを
放射しているではないですか。

 ただならぬ緊張が、その眼にあります。礼節をわきまえた、両手の描き方。細くて華奢な指。

 見れば見るほど、写楽の不思議なオーラがたちのぼっています。

 ふしぎな、魅力的な「面構え」であります。