『ゑひもせす』杉浦日向子

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    ★前の記事『二つ枕』杉浦日向子(3)からのつづきです。★




 ちくま文庫『ゑひもせす』を開くとするか。

 ちくま文庫には何冊も杉浦マンガが収められている。カバーの袖に作者の写真がついている。どの本をみても、おなじ写真である。何歳くらいの写真だろうか。

 文庫の発行日の一番古い日付を探して、それから推測すると、写真は28歳かそれよりすこし若い頃のもと思われる。色白でかわいらしい顔をしている。

 文庫の解説を書いた夏目房之助さんが、「あっというまに“寡作の美女・江戸物漫画家”で売り出しちゃった。でもね、あたしはあくまで作品に惚れたの。杉浦日向子が可愛いからとかじゃないからね」と弁解しているが、「惚れた」とは明確に白状している。(笑)

 28とか30のころ、彼女は輝くような美人だったろう。

 あの大兵肥満で、どんなにひいき目に見ても、色男とは言い難い荒俣宏さんが、よくぞ日向子さんを口説き落として結婚できたものだと、いまだに理解しがたい謎である。
 あっというまに離婚してしまったことについては、冷たいようだが、さもありなんと、理解できる気がするのであります。
 とうてい日向子さんに似合いのご亭主とは思えないではないですか。ね?



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 この本は最初双葉社から1983年に刊行されている。作者が25歳の年である。
初出誌は「ガロ」だから、発表したのは23歳のころ。絵がまだ若いはずである。

 そのぶん、いきおいがあって、江戸を舞台にしたマンガでは「誰に負けるものじゃない」という熱い自信と自負がみなぎっていて、心地いいばかり。

 いや、彼女が「誰に負ける気がしない」という意識がなくっても、そうした気概が匂い立っている作品集だ。




 「ヤ・ケ・ク・ソ」一編読んでみてごらんなさい。

 たいこもちの彦三のセリフだけでも、「こりゃあかなわねェ」とわくわく亭は杉浦日向子の軍門に下るね。

 彦三の吹き出しに書かれたリアルな江戸弁は、作者が読みに読んだであろう、すごい数の黄表紙、洒落本、滑稽本、川柳、人情本、さらには江戸研究書、古典落語本の山を想像させる。
 目では歌舞伎も見たろうし、耳では古典落語を聞きまくったろう。

 そうして彦三の面白いセリフが生み出された。

 彦三の口から出る言葉という言葉は、ほとんどすべてが、当時流行ったシャレであり、コトワザであり、地口、語呂である。「ありがた山ざくら…」「これは何ともいたみモロハク」という調子。

 ただ、言葉を拾ってくるだけなら、「江戸語辞典」(もちろん、わくわく亭だって利用する)のたぐいを2,3冊開けばいいが、たいこもちに、若旦那と交わす日常会話に、あれほどいきいきと、そうした言葉をしゃべらせるには、作者自信が自在にしゃべれるくらい慣れ親しんでいなければ、書けるものじゃあない。
 23歳の若い杉浦日向子が、まるで三遊亭円生師匠が語る吉原のたいこもちのように、彦三にしゃべらせている、その力量を評価しなければ、杉浦日向子マンガのすごさはわからない。

 文庫本『二つ枕』の解説を作家の北方謙三さんが書いており、「俺は杉浦門下の一番弟子」といい、宮部みゆきさんが2番弟子になったと、報告している。すぐれた現代小説をどれほど書いた作家でも、いとたやすく時代小説を書こうとして、かならず躓くのは、そうした江戸言葉のセリフが「ニセモノ」になるという怖さなのだ。
 会話がニセモノくさいと、どんなにスジが面白くても、2級の作品にしかならない。

 杉浦日向子の「会話」は、どこへだしても恥ずかしくない1級品なのです。
 
 いけしゃーしゃーと「ニセモノ」江戸弁を書いている時代作家が、それこそ掃いて捨てるほどいるが、
杉浦マンガを読んで、彼女の爪の垢でも煎じてのんでほしいよ。

 「ござる、ござる」といわせれば、武家らしいて思って書く作家たちのおそまつな「会話」、まるで勉強してない。
 吉川英治の「会話」がなっちゃーいない、とボロクソにこき下ろしたのは、江戸考証学三田村鳶魚先生だったが、いつのまにか吉川さんの「会話」文が現代作家の手本になっているというオソマツさである。
 時代言葉に自信がもてなきゃ、山本周五郎さんのように、会話も現代語で書けばいいんです。

 歌舞伎座前の古本屋で、山に積んで河竹黙阿弥の歌舞伎台本売っているが、あんなものでも、時代もの書く作家たち、当時の口語を勉強するため買って読みなよ。1冊1000円ちょっとで、よりどりみどり。―――ちょっと、横道にそれすぎたかな。(笑)それに、わくわく亭は、自分のことは、棚上げにしています。(笑)


 古典落語といえば「日々悠々」の世界に、落語に残る江戸情緒の「おおどかさ」がある。
 式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」の心地いい騒々しさがある。庶民の生活風景のばかばかしさ、あほらしさを、やさしく、愛情たっぷりに描いて、作者の、あの福々しいかわいい顔が目に浮かぶよ。


 会話の妙で読ませるのが「ヤ・ケ・ク・ソ」だとすれば、「袖もぎ様」と「もず」は絵で見せる物語である。ことごとく美男と美女。ブスはいない。彦三や「日々悠々」のどたばた連中もいない。
 嫁ぐ日に、片思いしている若侍の片袖をもらう商家の娘の「恋」のいじらしさを語ってみせる――「袖もぎ様」
 江戸女の恋路の意地とかなしさを、絵は浮世絵をもってして、話は為永春水描く人情本の情緒をもって
あざやかに描き上げる逸品――「もず」

 若い杉浦日向子は、多面的に、作画の技法も変えながら、江戸の男女を描きわけてみせる。

 「ああ、上手いなあ」と感嘆させてくれますよ。


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 「通言室乃梅」である。昨日書いたとおり、マンガ月刊誌「ガロ」が杉浦日向子を世に送り出した作品が、これである。

 彼女の記念すべき洒落本マンガの第一作であります。

 洒落本が、江戸の美的理念「通」をおしえるテキストだったことは、昨日書いた。

 吉原や岡場所における男と女たちの心理の綾を、虚々実々、手練手管を学ぶことによって、人間というものを学び、美的到達点「通」にむかって精神を磨く、とまあ大げさにいえば、そういう粋な人間学本が、洒落本なのでした。

 そもそも、江戸の人口にしめる女の比率は、男とくらべて極端に少なかった。江戸は家康入府ののちに
開発した都市であり、都市建設のためにあつめた労働力は男ばかりだった。女不足の常態。
 さらに幕府制定、参勤交代制で女たちを国に残したまま参府する単身赴任の男達がどっと江戸にあつまるから、完全な女不足。武士にくっついて、下僕、下男がやってくる。女がたりない。
 江戸には広大な敷地に多数の伽藍をもった寺院がおびただしく建設され、そこには若くて健康な(おもてもきは女犯禁制の)僧侶たちがいて、女がたりなくなる。

 男達にとっては、江戸はいまの中国みたいな状態にあった。
 中国は一人っ子政策のために男ばかり産みわけたから、結婚適齢期の年代20~35歳の男女比で、女性がなんと2600万人男より少ない。たいへんな問題だ。おまけに中国には「吉原」が公認されないから。

 一生結婚できない男達が江戸にはあふれていたという状況があったのです。

 だから、必要悪として、公認の遊郭「吉原」やモグリの遊郭である岡場所が江戸にはたくさんつくられた。

 さて、かわいそうなは、男でござる。

 金持ちや家督相続する嫡男はいいが、次、三男や貧乏人はあわれなり。かれらにとっては、女は、恋したって無駄。岡場所にいって女性のウソの「恋」に騙されたふりをして、「恋」を空想するしかないのでした。
 金持ちの武士や若旦那は安心か?そうはいかない、ひとりの花魁や遊女が何十人、いや何百人もの「愛人」「情人」の役割をしているのだから、好かれようとして、あの手この手をやり尽くす競争社会。

 そうした男女の特殊世界をもっぱら扱ったのが洒落本でした。


 『室乃梅』には藤森という武士が「通」ぶって町人のこしらえで(町人に変装して)吉原にやってくる。ねらう相手は梅ヶ瀬というおいらん。ところが梅ヶ瀬には「情人」(いろ)がいる。
 そうとも知らず、粋人ぶって、藤森は女にいいところを見せようとして、女と情人にバカにされてる。

 これ、洒落本の基本中の基本のパターンであります。

 「通人」ぶって、じつは見透かされているおばかさんが主人公。かれらは半分「通」という意味で
「半可通」とおとしめて呼ばれる。

 藤森は、女に情人が訪ねてきたとも知らず、彼女が体調が悪いといえば、薬をとりに「いってきなせへ」と座敷を外すのを鷹揚にゆるす。
 女は男のもとへ行くと、
「ナニ、武左客だから、造作ありんせん。どう成ともあしらってつかはしんす」といっている。
(武左客とは武左衛門の略で、野暮な武家客のこと)
 夜も明け方になって、女は藤森のもとにもどってくる。

 彼は女の健康を気遣ってやるふりをつづける。それが遊び慣れた粋人のやりかただから。
 結局女は「仕事」をしないで、眠ってしまう。
 女は「ぬしゃア ゑへひとだねへ」という。
 藤森には、その言葉が聞こえているが、聞こえない振りをして、ただ、
「何か云ったか」という。
 ああ、通人はつらいのう。

 朝。帰りかけた、藤森に、ほかの町人客が持った盆をひっくりかえす粗相をする。
 藤森は、自分が町人に変装していることを、うっかりわすれて、思わず、
 「ぶれいもの」と「武左」言葉で叫んでしまう。

 そこで、杉浦日向子さんが川柳を一句。
 「無礼者 化けの皮が おっぱがれ」


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 「いい若いもんで、ぶらぶら暇をもて余している。とくに仕事はない。たまに友達と、ゆすりたかりをする。ちょくちょく呑んで暴れるけれど、喧嘩は弱い。でもかあいい。なによりだれよりかけがえないのだよ。
 私が惚れた「江戸」も、有り体に言えば、そういうやつだよ」

 杉浦日向子さんが34歳で書いた、どうしようもない遊び人の「江戸」に寄せた愛の告白文であります。

 ダメ男を情人(いろ)に持った、深情けの日向子さんである。

 こんなイロをもったなら、マジな博物学荒俣宏ダンナとはやっていけっこねェさ。

 手をきるはめになったのも、あったりマエダのクラッカー、だと、わくわく亭は愚考しやす。

                                        (チョン)