『二つ枕』杉浦日向子(3)
『ゑひもせす』についてなにか書こうと、文庫本を開いていたら、『虚々實々 通言室乃梅』という
作品があるじゃないか。
きくところによると、この『通言室乃梅』を雑誌「ガロ」に送ったところ、掲載がきまって、以後杉浦さんの江戸ものマンガの発表舞台が「ガロ」になったという、いわば、杉浦日向子デビュー作らしい。
そのデビュー作の装いが、完全に江戸の洒落本(しゃれぼん)に見たてたつくりだった。
10月26、27日の記事でとりあげた『二つ枕』では、山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本(しゃれぼん)『傾城買四十八手』を下敷きにした、日向子版『四十八手』だと書きました。
こうなったら、杉浦さんの初期作品に色濃い洒落本の「見たて」について、ちょっとばかり書いておくと、洒落本をご存じない若い読者にも参考になるかと、もう一度『二つ枕』にもどることにします。
「謎本」の流行ということがありました。(サザエさんの家庭を観察する『磯野家の謎』が流行のはじまりで、あとは洪水状態で、ゲームの謎解き、裏技本が続々登場した。村上春樹の謎解き本も売れたらしい)
こちらも、「杉浦日向子の謎」解きとシャレましょう。
☆ ☆ ☆
上の掲げた2枚の絵、上の絵は文庫本『二つ枕』の中から、『手練手管 廓中通言』の扉絵。下のは、山東京伝作『傾城買四十八手』の口絵。絵の作者もまた京伝です。
こうして並べてみれば、杉浦日向子さんが『傾城買四十八手』に見たてた洒落本マンガを描きたかったということが、よくわかります。
彼女は洒落本の世界に、ぞっこん惚れ込んだのでした。
(なかんずく、山東京伝にね)
鯉にまたがった遊女が手紙を読んでいる図です。
これは何だろうか。さて、謎の解明です。
中国周代の伝説に、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉にまたがって滝登りをする話があります。鯉は滝登りをすると龍になると言い伝えられています。
江戸時代には、琴高仙人の絵がさかんに画かれていました。
京伝は自分の洒落本の口絵に、琴高仙人に「見たてた」遊女を画き、なじみ客から受けとったラブレターを読ませるという粋なパロディーにしたのです。
俗界から遠く離れたはずの仙人が、よりによって色と欲の楽園である遊里を泳ぐ鯉にまたがったおいらんに変身したというシャレです。
京伝は、画讃として中国清代初期の本『板橋雑記』から、作者の余懐(よかい)の言葉を書き入れています。『俗界之仙都、昇平之楽園』と。
これは、江戸人から世界最高の遊里とあこがれられていた、中国の金陵(のちの南京)にあった遊里を褒め称えた言葉なのです。
まあ、まあ、金陵まで持ち出さなくてもいいのですが、杉浦日向子さんが、京伝の口絵のパロディーを画いたときには、そうした洒落本のウンチクと、遊びごころを全開させたはずです。
杉浦マンガの扉絵では、おいらんは「お待たせしィした」といい、遊客は「出た出た、大鯰だァ」と
おどろき、鯉は「迷惑ナ、これでも鯉じゃ鯉じゃ」といわせているのです。
中国の故事、京伝のイラストを知っていれば、ここでも杉浦ワールドがたのしめるというわけ。
そんな細かいところまでの知識が要るものか、とおっしゃいますか。
ごもっとも。
で、つぎに洒落本の何たるかをせつめいしようとすると、当時はこの「そんな細かいところまでの知識」が文句をいう文藝ジャンルだった、とまず説明しておきましょう。
吉原などの遊里で遊ぶ「通人」の最高レベルに到達するためには、じつに涙ぐましい努力によって「微に入り細をうがつ」里遊びの心得の習得がかかせなかったのです。
それを身につけて遊ぶひとは、18大通に数えられた京伝のように、吉原で愛され尊敬されました。
そうでなく、金でおいらんを自由にしようとする奴、大名、旗本の権威でおいらんを従わせようとする奴は、嫌われ軽蔑されたものです。
遊里は「俗界の仙都」という独立国に人々は「見たてて」いたのですよ。
そこでは金や権力を振りかざしたり、遊里の常識、男女のこころの機微を解しない野暮天は
「おとといきやがれ」と冷遇されたのです。
そこで、どうすれば吉原の廓や茶屋ででもてるのか、女郎に「遊び上手な、通人」ともちあげられるか、江戸の男という男は知りたがった。
そうした男たちのために書かれたのが、すなわち洒落本だったのです。
内容はシンプルなものにはじまって、より詳しいもの、さらに詳しく詳しくと競争し、やがてはマンネリズム、ろくに知らなくてもいいようなマニヤックな知識まで提供する情報書へと変質してしまいました。
そうなっては、客と遊女の手練手管を尽くす、人情の機微が描かれていた上質な洒落本の特徴が欠落してしまいます。マニュアル本、情報誌となっては洒落本の読者に見限られます。
本来の「通人」「粋」の妙趣をもとめる精神を逸脱した洒落本は、もはや洒落本ではありません。
洒落本の堕落であり、頽廃です。
そうした事態になるころには、京伝のような優れた作家たちは洒落本に見切りをつけて、とっくに「読本」や「人情本」という新しいジャンルへと移っていっていたのでした。
しかし、それは、まだのちのことで、京伝が『傾城買四十八手』『通言総籬(つうげんそうまがき)』を書いたころは、まさに洒落本の全盛期にありました。
☆ ☆ ☆
さて、洒落本の味な世界をよーく伝えている、杉浦日向子さんの『通言室之梅』を改めて読んでみることにしましょう。
「通言(つうげん)」とは通人が使う言葉のことです。「通ものがたり」とでもいったらいいでしょうか。
かなり長話になったので、ページを替えて、『ゑひもせす』のタイトルにします。
「ゑひもせす」へとつづく。
作品があるじゃないか。
きくところによると、この『通言室乃梅』を雑誌「ガロ」に送ったところ、掲載がきまって、以後杉浦さんの江戸ものマンガの発表舞台が「ガロ」になったという、いわば、杉浦日向子デビュー作らしい。
そのデビュー作の装いが、完全に江戸の洒落本(しゃれぼん)に見たてたつくりだった。
10月26、27日の記事でとりあげた『二つ枕』では、山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本(しゃれぼん)『傾城買四十八手』を下敷きにした、日向子版『四十八手』だと書きました。
こうなったら、杉浦さんの初期作品に色濃い洒落本の「見たて」について、ちょっとばかり書いておくと、洒落本をご存じない若い読者にも参考になるかと、もう一度『二つ枕』にもどることにします。
「謎本」の流行ということがありました。(サザエさんの家庭を観察する『磯野家の謎』が流行のはじまりで、あとは洪水状態で、ゲームの謎解き、裏技本が続々登場した。村上春樹の謎解き本も売れたらしい)
こちらも、「杉浦日向子の謎」解きとシャレましょう。
☆ ☆ ☆
上の掲げた2枚の絵、上の絵は文庫本『二つ枕』の中から、『手練手管 廓中通言』の扉絵。下のは、山東京伝作『傾城買四十八手』の口絵。絵の作者もまた京伝です。
こうして並べてみれば、杉浦日向子さんが『傾城買四十八手』に見たてた洒落本マンガを描きたかったということが、よくわかります。
彼女は洒落本の世界に、ぞっこん惚れ込んだのでした。
(なかんずく、山東京伝にね)
鯉にまたがった遊女が手紙を読んでいる図です。
これは何だろうか。さて、謎の解明です。
中国周代の伝説に、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉にまたがって滝登りをする話があります。鯉は滝登りをすると龍になると言い伝えられています。
江戸時代には、琴高仙人の絵がさかんに画かれていました。
京伝は自分の洒落本の口絵に、琴高仙人に「見たてた」遊女を画き、なじみ客から受けとったラブレターを読ませるという粋なパロディーにしたのです。
俗界から遠く離れたはずの仙人が、よりによって色と欲の楽園である遊里を泳ぐ鯉にまたがったおいらんに変身したというシャレです。
京伝は、画讃として中国清代初期の本『板橋雑記』から、作者の余懐(よかい)の言葉を書き入れています。『俗界之仙都、昇平之楽園』と。
これは、江戸人から世界最高の遊里とあこがれられていた、中国の金陵(のちの南京)にあった遊里を褒め称えた言葉なのです。
まあ、まあ、金陵まで持ち出さなくてもいいのですが、杉浦日向子さんが、京伝の口絵のパロディーを画いたときには、そうした洒落本のウンチクと、遊びごころを全開させたはずです。
杉浦マンガの扉絵では、おいらんは「お待たせしィした」といい、遊客は「出た出た、大鯰だァ」と
おどろき、鯉は「迷惑ナ、これでも鯉じゃ鯉じゃ」といわせているのです。
中国の故事、京伝のイラストを知っていれば、ここでも杉浦ワールドがたのしめるというわけ。
そんな細かいところまでの知識が要るものか、とおっしゃいますか。
ごもっとも。
で、つぎに洒落本の何たるかをせつめいしようとすると、当時はこの「そんな細かいところまでの知識」が文句をいう文藝ジャンルだった、とまず説明しておきましょう。
吉原などの遊里で遊ぶ「通人」の最高レベルに到達するためには、じつに涙ぐましい努力によって「微に入り細をうがつ」里遊びの心得の習得がかかせなかったのです。
それを身につけて遊ぶひとは、18大通に数えられた京伝のように、吉原で愛され尊敬されました。
そうでなく、金でおいらんを自由にしようとする奴、大名、旗本の権威でおいらんを従わせようとする奴は、嫌われ軽蔑されたものです。
遊里は「俗界の仙都」という独立国に人々は「見たてて」いたのですよ。
そこでは金や権力を振りかざしたり、遊里の常識、男女のこころの機微を解しない野暮天は
「おとといきやがれ」と冷遇されたのです。
そこで、どうすれば吉原の廓や茶屋ででもてるのか、女郎に「遊び上手な、通人」ともちあげられるか、江戸の男という男は知りたがった。
そうした男たちのために書かれたのが、すなわち洒落本だったのです。
内容はシンプルなものにはじまって、より詳しいもの、さらに詳しく詳しくと競争し、やがてはマンネリズム、ろくに知らなくてもいいようなマニヤックな知識まで提供する情報書へと変質してしまいました。
そうなっては、客と遊女の手練手管を尽くす、人情の機微が描かれていた上質な洒落本の特徴が欠落してしまいます。マニュアル本、情報誌となっては洒落本の読者に見限られます。
本来の「通人」「粋」の妙趣をもとめる精神を逸脱した洒落本は、もはや洒落本ではありません。
洒落本の堕落であり、頽廃です。
そうした事態になるころには、京伝のような優れた作家たちは洒落本に見切りをつけて、とっくに「読本」や「人情本」という新しいジャンルへと移っていっていたのでした。
しかし、それは、まだのちのことで、京伝が『傾城買四十八手』『通言総籬(つうげんそうまがき)』を書いたころは、まさに洒落本の全盛期にありました。
☆ ☆ ☆
さて、洒落本の味な世界をよーく伝えている、杉浦日向子さんの『通言室之梅』を改めて読んでみることにしましょう。
「通言(つうげん)」とは通人が使う言葉のことです。「通ものがたり」とでもいったらいいでしょうか。
かなり長話になったので、ページを替えて、『ゑひもせす』のタイトルにします。
「ゑひもせす」へとつづく。