余生の文学って?

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 広辞苑で「余生」をひいてみる。

 「残りの人生。老後の生涯。《幸せな―を送る》」とある。

 余生といったら、自分の家業を終えて息子に跡を譲ったとか、定年で年金生活に入った人の、その後の人生期間といったところだろう。

 『余生の文学』という吉田健一さんが書いた評論集は1969(昭和44)年に発行された。
 僕がもっている版は1975(昭和50)年で第2刷のもの。

 数年まえから、何度となく読み返すのは、そのタイトルのせいである。

 僕は16歳で小説を書き始めて25歳で中断した。参加していた同人誌が休刊したため、発表場所がなくなったためだった。25歳から30年間小説を書くことなく過ごしたあとで、同人誌復刊を機に、55歳からまた書くことになったから、僕も吉田健一さんのいう「余生」に入った、と面白がりながら、その
文章をくりかえし読んだ。

 吉田健一(1912~1977)さんは英文学者で、父が吉田茂、母・雪子は牧野伸顕の娘で、すなわち健一さんは大久保利通の曾孫にあたる。

 吉田さんの文体は、難解ではないのだが、独特のもってまわった言い回しをするから、なれないうちは、決して読み易いとは言いがたい。しかし、そのリズムになれてくると、まわりくどさが、厚みのある論述にふさわしい文体とおもわれるようになって、好きにもなってくる。

 さて、僕が愛読する『余生の文学』とは?

         
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 若さとは未熟で、自分に何が出来るのか、出来ないのか、思い迷うばかりで、みっともないものであるから、その状態を表現したものが上質の文学と呼べないのは当たり前のことだ。
 だから青春文学など、もってのほかだ。

 多くを経験し思索して成熟期になって、はじめて文学らしきものができる。
 まれに若くして天才と呼ばれ、不幸にして夭折してしまったラディゲとかランボーのような仕事をしたものがあるが、かれらの作品はすでに成熟しており、年齢は若かったが、すでに老成期に入っていたのだ。

 反対に熟年の50歳になったゲーテが書き始めた『ファウスト』は、84歳で死ぬ直前に完成させている。しかし、作中に描かれた若さや恋愛感情は、みずみずしく、生命感にあふれている。

 作者が加齢を重ねるほどに、生命感という若さが本物になる。本物が書けるようになる。文学とはそういうものなのだ。

 人生とはいかなるものか、若さとはいかなるものかが分かる年齢になって、可能性と限界とが分かって、融通無碍に若さというものが書けるのだ。

 ところで、ゲーテは『ファウスト』を生活のためとか、社会的要請があって書いたのではない。

 34年の間、書きたいから書き、やめたくなったらやめ、また書きたくなって書いた。つまり、ゲーテは『ファウスト』を書き始めた50歳で余生に入っていた。

 余生とは、生活するため、家族をやしなうための仕事というものをやり終えて、さてあとは心の儘にやりたいことをやろうという人生の時期のこと。
 文学が本物になるのは、その余生の時期である。
 なにか、はっきりした目的があって(お金とか)、それが他に優先している間は、文学の仕事はできない。文学を愉しむ余裕がないと、それは出来ない。

 「もの欲しげなところがないというのが文学の一つの定義」

 若者が息せき切って走るようなものは、自分の息に気づく余裕がない。余生に入ると、自分が息をしてることがよく分かって、自分のできること、できないこともよく分かって、しずかに落ち着いて、自分と
世界を見ることができる。
 若いから若さが書けるのではなくて、余生だから若さが書ける。
 言い方をかえると、歳をとるほどに、若くなるともいえる。


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 なんということだろう。

 まるで、僕のように金のためでもなく、社会的要請でもなく、同人誌にきままに作品を書いているものにっとては、この本は、うれしい福音の書ではないか。

 僕は、どんどん若くなって、若い生命を書いて行こうと思うのである。


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   絵は『安野光雅の画集』(講談社 昭和53年)から。