21世紀少年

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 浦沢直樹の『21世紀少年(上)』を買った。

 大泉学園の駅前にあるモスバーガー店で、ブレンドコーヒー(これ、190円で、うまい。マックとは大違い)飲みながら、あっというまの一気読み。

 『20世紀少年』最終章のタイトルを「21世紀少年」に更めるなんて、ニクイね。

 巻を22巻まで重ねた長編マンガも終わりを迎えつつある。

 どんな物語でも終わりを用意しなければならないのは、世の決まりごとである。物語をつくるという希有の才能にめぐまれた浦沢直樹さんは、物語のしめくくりで、苦しんではいないのかな?

 どうだろうか。

 物語が長くなりすぎると、収拾がつかなくなって、苦しくなるケースは少なくない。
 あの中里介山の大長編『大菩薩峠』にしてさえ、未完になった。

 人物が多くなりすぎ、ストーリーの枝葉が多岐にわたりすぎると、それぞれに決着をつけることが、もはや作家の手に負えなくなって、投げ出してしまう。それに長いものを何年(『大菩薩峠』は数十年だよ)にもわたって書いていると、作者にしても他のものを書きたくなったりするわけだ。

 浦沢さんの『モンスター』が主要な人物が多くなりすぎて、手に負えなくなったために、終盤くるしくなって、強引に終わらせてしまったが、その消化不良の不満を、僕の書評に書いた。
 その時点では『20世紀少年』の方は順風満帆だった。
 作者は人物たちを自分の手のひらの上にのせて、完璧にコントロールできていた。

 この物語においては、「ともだち」の正体がだれかという興味、関心が読者を22巻まで、ひっぱっている引力である。そして、「ともだち」の容疑者はつぎつぎとマスクをはぎとられて正体の顔をさらすのだが、もはや容疑者のタネはつきてしまった。
 あまりの長話のために、いやまだ怪しい少年はいた、あと一人いた、とやって、のばしてきた。
 死んだ容疑者を、読者に説明なしに、生き返らせたりしている。

 作者は「ともだち」の正体を、はたして、知っているのだろうか。

 だれかがブログに書いて、「浦沢さんは『20世紀少年』を描くのに飽きてしまって、はやく『PLUTO』に集中したがっている」と勝手な推測をしていたが、そんな陰口がきかれるくらい、たしかに
当初の完成度を失いつつあるというか、失速ぎみ?かなという気がしてしまう。

 さて、そんなファンの心配を一掃して、まだ未完の『21世紀少年』をその(下)巻で、完璧な
傑作に仕上げてほしい。

 おそらく浦沢直樹さんの最高傑作は『PLUTO』ではなく、この『20世紀少年』(および
「21世紀少年」)となるだろうから、最終章をみごと描き切ってほしい。