観客を充電する「発電ジョカ」

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 劇団「発電ジョカ」の公演『はりきりマンボ(命尽きるまで)』を観た。

 場所は「麻布die pratze」といって港区東麻布にあるビルの2階のスタジオ風の会場である。

 3日間に4回の公演で、きのう僕らが観たのは最終回の公演だった。

 観客は超満員だったが、会場が狭いために、臨時の椅子席を設けたりしても、120人くらいか。

 それでも立派だよ。小劇団でこの集客力は。

  熱気あふれる舞台で、わくわく亭は十分満足した。ただ、120人の人いきれがエアコンの冷房能力を上回ったために、すこし汗ばんだから、僕はハンカチをつかって、額から首筋の汗をぬぐいながら、
涙もときどきは拭いたね。

 ストーリー劇というより、会話劇だ。歌手をめざす3人の娘が、大きな倉庫の片隅を管理人の温情で
内緒でつかわせてもらい、そこからモグリのラジオ放送をして、自分たちの歌とお喋りを流している。

 しかし彼女たちは、いつしか35~37になっており、芸能界で認められるチャンスはますます遠ざかっている。

 一人は田舎から出てきて、もういまさら郷里へ尾羽打ち枯らしてかえれない、やたら田舎の母親には見栄を張っているのが、大城誉さん。いろいろバイトをしているが生活はくるしいひとりもの。

 一人は結婚しているが、亭主に大した働きはなさそう。それでも、ちょいと美人なので、不倫に誘われて、迷いの多い女。自分をウツだと思いこむ。

 あとの一人は、眼鏡をかけた派遣社員で、ぽっちゃり体型、このグループでうまくもない歌を唄うほかに生き甲斐がないという女。

 都会にいまたくさんいる自分発見のため芸能人を夢見る女たちの、その孤独、希望のなくなった未来への不安、それでも唄う夢が捨てられないいじらしさ、などをかしましいほどの連続的なおしゃべりの中に描き出す。

 不倫しかけた彼女が相手の男にだまされて、3人がつくったCDが、時代遅れのマンボ曲。
タイトルが「はりきりマンボ」。

 それでも、デビュー曲として流そうとしていたら、倉庫が火事で、逃げ遅れた3人は、ラジオでSOSを叫べど救助はこない。
 こないはずだよ、ラジオは電波が流れていなかった。

 もはやこれまでと、死ぬ覚悟で、3人が唄い踊る「はりきりマンボ、命尽きるまで」


 それから歳月がたって、3人が再訪した倉庫。
 
 そこに転がっているラジオから、若いDJの紹介で、リクエスト曲が放送される。
「はりきりマンボ」である。

 3人の婆さん達が、ガタガタの老体で踊る。暗転して終演となる。


 この劇団は変わっている。
 1995年に旗揚げしていらい、「自分たちの観たい芝居は自分達で造る」をモットーとして、
劇団創作をし、共同演出のスタイルで公演してきた。

 “シアターグリーン演劇祭2007”に参加して「群を抜いて異色」と評されてオーナー賞を受賞している。

 たしかに、この芝居も、幕のないフロアーが舞台で、ダンボール箱をつみあげただけの倉庫が背景の2時間のぶっ通し劇。役者は女優の3人と倉庫番役の男優の、総勢4人。

 3人の女優たちの実生活から、彼女たちの役をつくったのかもしれないな。男優は一人で4役をこなし、舞台監督もしている大車輪の奮闘。

 金をかけない、ぎりぎりエコノミックな公演である。

 それでいて、120人の観客、ほとんどが20~30代の女性達(おまけに美人ばっかり)の熱い共感の拍手を浴びていた。
 東京にくらし、美人でありながら、どこか不安でさびしげな、多くの迷っている女達が支持する舞台なのである。

 よかったよ。ジョカの彼女たち。

 これだけヨイショしたのだから、このブログ見逃さないでくれよ。



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 安野光雅の絵「このかいだんにゆきどまりはない」を『安野光雅の画集』(講談社 昭和53年発行)
から。深い意味はありません。「このかいだんにゆきどまりはない」の意味シンなタイトルは、たまたまでありますから、気にしないでください。


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 観劇のかえりに、わくわく亭と、ノンフィクション作家DT氏、それにDJのHT氏の3人で
新宿へ出てビールとチューハイを飲む。
 「彼女たちの不遇が身につまされましたね」とDTさん。
 「涙がでたりしてね」わくわく亭。
 「老人になると涙もろくなるっていいますね」HTさん。

 くそ!!