わが家の「武蔵」どの

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 わくわく亭の家には、剣豪宮本武蔵が同居しています。

 彼女が武蔵だということを、僕が識ったのは、彼女が「だって、わたしは宮本武蔵ですよ」とみずから告白したことによります。
 そうか、武蔵であれば、納得もいく。

 これまで彼女の非凡なワザを目撃するたびに、この女ただものではないな、とは心密かに畏れいっていた。しかし、まさか僕の女房が、あの剣聖宮本武蔵であろうとは、思っても見なかった。

 僕が、いつだったか居間でなにか(おそらく、ただゴロゴロ)していたとき、キッチンから、彼女が呼んでいました。
「なんだよ」ようやく(ゴロゴロしていると、すぐに起ってくることができないのであります)僕が顔をだすと、
「いま、わたし、飛んでいるハエを、パッと素手で捕ったの。すごいでしょう」
「手の中にあるのか?」
「いいえ、もう捨てたわよ、きたないもの。手も洗ったし」
「なんだ、そんなことで僕を呼んだのか」(ただゴロゴロしていただけとは話さない)
「これって、すごいことだと思わない?たしか宮本武蔵が、酒場でうるさく飛び交うハエを、次々捕まえたので、ケンカを売ろうとしていた酔っぱらいの浪人達がビビッてしまったでしょう。あれですよ」
「あれって、武蔵は素手じゃなく、ハシでつかまえたんじゃないか」
「ハシでも素手でもおなじじゃないですか。だったら、あなたハエを素手で捕まえてみたら。新聞紙を
丸めて追いかけても、いつも逃がしてばかりでしょ」
「殺さないで、追い払っているんだよ。わくわく亭は殺生を好まないから」
「わたしは、宮本武蔵です」

 えっ、おまえ武蔵だったのか?しかしその時点では、僕はまだそれを信じてはいなかった。

 たしかに、結婚以来、彼女の数々の離れ業をみてきたから、ひょっとしたら、と思いはしたが。

 ところで、わが町大泉学園は近年ネズミの被害に悩まされている。そのことは6月13日のブログ「
ネズミの食事風景」に書いて、いま『わが住む街から』に収録しています。
 わが家でも、粘着シートを仕掛けて、捕っても捕っても、無尽蔵に湧くがごとくやってきます。

 さて、ついさきほどのこと。
 僕がこうして居間でブログをやっていたら、庭から女房の声がしました。
「いまね、玄関のところに、こんなにおおきなネズミがいるのよ。じっと座っているの。捕まえてよ」
「すぐ逃げるだろう。トンボやセミじゃあるまいし、素手で捕まえられる相手じゃないぞ」
「あなたじゃだめね。キッチンから、粘着シートを1つもってきてよ。それでパット捕るから」
「そばへいくまでに、ネズミはどこかへいっちゃうよ」
 僕はぶつぶついいながら、キッチンからネズミ捕りの粘着シートをもってきて庭の彼女に手渡した。
シートは開いてもA4サイズの紙ほどの大きさしかない。そっと歩み寄って、それで捕り伏せる?
 第一、玄関の外の門扉をまずギギーと開く必要があるじゃないか。その音で、さっと逃げるにちがいない。可能性はゼロだろう。
 彼女は庭から玄関へとまわった。

 さてと、僕はパソコンのまえに戻った。

 すぐに玄関の外から彼女が僕を呼ぶ。
「あなた、捕まえたわよ。すぐにかたづけて」

 ええっ。まさか。

 ドアを開くと、タイルばりポーチの上に彼女は粘着シートを伏せて、それを片足で踏んで、いわゆる仁王立ちである。
その下にはネズミの尻尾がみえていた。

「音を立てないで、門扉をひらいてね、ネズミが振り返ったとたん、シートで被せたの。こちらの気配を消したのよ。ネズミが振り向いたとき目と目が合った。ネズミが逃げようと起動する寸前、わたしの手が一瞬早かったってこと」

 僕はネズミを挟んだシートを畳み、スーパーのビニール袋に入れて口を結び、ゴミのボックスへほうりこんだ。ネズミは20センチ以上の大きさだった(頭から尻尾の先までのサイズ)。
 ネズミにとっては、まさかの油断だったのだろう。そのまさかである。わくわく亭の家に、あの剣聖がいようとは、ネズミにとって一生の不覚だった。

 僕は彼女にこう言った。
「すぐにブログにさ、わが家に武蔵が居るって、書かなくっちゃね」

 いそいで、こうして書いているのであります。

               ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 上掲の絵は『安野光雅の画集』(講談社 昭和53年発行)から「しゅくじょ」という作品で、
わくわく亭の女房でも、ましてや宮本武蔵肖像画でもありません。(念のため)