歩のない将棋は負け将棋

イメージ 1

 朝のTBSラジオ番組が、聴衆からのリクエスト曲をながしている。


       ~ 歩のない将棋は負け将棋

                   世間歩がなきゃなりたたぬ

 演歌の王様 北島三郎が唄う『歩』という歌であることくらい、わくわく亭でも知っている。ただし、
わくわく亭はカラオケでも「さぶちゃん」は唄わない。わくわく亭のお得意はサザンオールスターズの曲ときまっている(笑)。

 ちょっとまてよ、「歩のない将棋は負け将棋…」僕はなにか思い出そうとしている…。

 北島三郎の演歌『歩』の作詞は関沢新一さんである。しかし、そのフレーズは作詞家のオリジナルではなくて、将棋で言い習わした格言である。「桂馬の高跳び歩の餌食」などと同類である。

 そうか、思い出した。

 江戸の狂歌師である大田南畝(のちの蜀山人)が、狂歌仲間と舟遊びをしようと、隅田川に舟を浮かべて芸者のお益を待っていた。
 ときは、享和3年(1803)の6月15日だった。南畝は55歳だった。

 南畝はお益に惚れていた。

 柳橋にお益を呼びに、人をはしらせていたのだが、人気のあるお益は、もう他の舟の酒宴にもらわれていったあとだった。

 小説『南畝の恋』から、ちょっとだけ、引用してみよう。



    夕風が吹くころになると隅田川の両岸より、たくさんの舟が涼ををもとめて、
   こぎだしてくる。

    酒をくみながら、歌や詩をつくるのだが、隣の舟の三味線の音がきこえてくると、
    「どうも気が引きたたね。隣の三絃をきくのは、わびしいものだ」
   と、馬蘭亭が大ふさぎである。

    夕立が北西の方から雷鳴をともなって来た。

    両国橋の下で、その雨の行き過ぎるのを待ちながら、
       
        やむ事をえず はしの夕立

   と、花の屋が下の句を詠んだので、南畝が、

        この舟にふのない将棋まけ将棋

   とつけた。

    婦(ふ)のない舟遊びでは、橋の夕立も色気に欠ける。

    夕立のあと橋を渡ってゆく人々の足音は、またにぎやかになった。

    橋の下では、たくさんの舟にそれぞれ赤い灯が入った。

        用のある人の足なみ用のなき 船の足なみ橋の上下




 いまから、204年のむかし、江戸では、この格言を現代と同様日常的につかっていたのです。

 南畝と芸者お益との恋は、けっきょく実らない。南畝はその翌年、長崎へ出役を仰せつかって江戸をはなれ、お益への恋ごころを冷ます一年になりました。

       
       婦(ふ)のない将棋は負け将棋

                    世間婦(ふ)がなきゃなりたたぬ