愛書家今江祥智の本をつくる心の贅沢

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 わくわく亭のもとに近年やってきたいくつかの本の贅沢な装いについて。

 本は書いてある内容と、その内容を包む装丁、造本とがひとつとなって完成するものです。

 古来、と大げさにいわなくても、美術品のような本は、どの時代にも造られてきました。

 作家のなかには、他人任せにできなくて、自分の気のすむまで造本にかかわる人もいる。

 永井荷風には出版社が出した本に飽き足らなくて、別に荷風みずからが出した「私家版」があることはよく知られています。荷風コレクターにとっては、垂涎の的です。

 明治、大正期に出た詩集などには、美術品のように、こりにこった本が、いろいろあります。発行部数
がとても少なかったということと、詩人が印刷費用を負担(いまでいう自費出版)したという事情があったとしても、本を造るということは、内容と装丁、造本があいまって、はじめて完成するという明確な主張がありました。

 作家が大量出版された廉価本では満足出来ない場合、私家版とか、私家版に近い条件で本を出すことがあります。そうしないでは、自分の作家魂、美意識が満たされないからです。

 上掲の写真は児童文学、小説、エッセイで有名な今江祥智さんの2冊の本です。

 2冊とも今江さんから贈呈されたものですが、本造りへの作家の愛情がみごとな表象となった好例だと思います。

 まず上の本は、「今江祥智コレクション」で作家の仕事の総集成という編集になっており、長編童話、
短編童話、短編小説、エッセイ、小説、評論のジャンルに別けて、作家がベストとするものを「コレクション」した本です。発行元は出版工房原生林。

 うすいブルー系の函に入れてあります。装丁、装画は今江本といえば、おきまりの宇野亜喜良の手になる憂愁をおびた美少女が飾っています。幾枚もイラストのページがあって、すべて宇野亜喜良の作です。

 表紙はハードカバーだから、本はしっかり立って、今江ワールドの存在感を主張します。


 下の本は、これは完全な今江さんの私家版「モンタンの微苦笑」です。
 すべて、イヴ・モンタンのことのみ書いたエッセイ集。

 今江さんのイヴ・モンタン好きは高じて、ついにモンタンの楽屋を訪ね、モンタンの生地を訪ね、モンタンの歌ばかりか、戦時のレジスタンスの活動家、思想家としての姿まで追い求めて、究極の「今江が愛する」モンタン本をつくってしまったのです。

 函の中央には作家がモンタンにもらったサインをかかげています。見返しには宇野亜喜良さんが描いた
モンタンの肖像のいろいろで埋めつくす。もちろん、充実したモンタンの生い立ちからはじめた伝記、世界的な名声を博したシャンソン歌手としての魅力、映画俳優としての魅力、今江さんのモンタンとの出遭いと交流、などなど、作家の見せたいものを、思いのままに見せています。

 つぎは、栞です。この本のためにつくられた栞です。

 さいごのものは帯です。「40年間に書いたオマージュ40篇」とあり、「私家版300部限定」
とみえるでしょう。
 モンタンが好きだから、それだけの動機で生まれた美しい本なのです。

 こんな本を書くこと、300部だけを手塩をかけて造ること、それは今江祥智という作家の心が
いかに富裕か、贅沢かという証左です。

 児童文学の世界で、灰谷健次郎今江祥智は双璧と称されてきました。灰谷さん亡き後、今江さんの
仕事はますます重要です。

 今江さんは、わくわく亭のようなものに書くときにも、その手紙のどこかに、かならず鳥とか、魚とか、風見鶏とか、犬ぞりとかのイラストを画きそえてくれます。それも彩色してあります。
 誰にでもそうらしい。

 東京と京都でご馳走になった。京都では2度小粋な酒場でお酒をいただいた。
「わたしの家には車も、エアコンもありません。好きな本にお金、みな遣いますねん」
 
 そんな作家だから、こんな本を造るんだね。