荻窪の会

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 岩品長老、高宮さん、滝沢さん、暑い中ごくろうさまでした。

 ゆいまさん、お世話をかけました。おかげで、愉快な文学談義ができました。

 場所が荻窪駅の北口マンション。これ以上足場のいい場所はありません。
 ゆいまさん、かさねてお礼申します。

 午後の2時から9時過ぎまでの、およそ7時間です。ほかの話題なら、こんなに長時間おしゃべりはできないでしょう。文学にまつわる話題が、つぎつぎと途切れることがないのは、われわれはやはり文学が好きなんだ、ということに尽きるでしょうね。

 われわれ仲間の作品評は別としまして、話に出てくる作家の名前が、芥川、谷崎、荷風、三島、太宰、
大江といったところで、ちょっと古めかしくないかい。近年の作家のものは読んではいても、7時間の中にでるほど評価してないってことかも。8時間10時間とつづいていたら、ようやくそうした作家の名前もでるのかも。

 ところで、わくわく亭は大型書店のリブロが、今年6月から毎月開いている「作家養成ゼミ」の新聞記事を紹介した。

 本来作家の養成なるものは出版社の仕事だった。出版社が将来有望とにらんだ作家候補に担当の編集者をつけて、何を書くか、どのように書くか、書いたものには朱筆をいれて文章指導までしながら、文芸誌に発表機会をあたえ、好評ならば出版する。そうしたプロセスで作家は養成された時代が長くあった。
 
 しかし、書籍を売る書店サイドからすると、出版社は洪水のように本の出版はしてくるが、ベストセラーとなる本は限られており、書籍販売高は伸びないどころか、減少するばかり。これでは書店は危機感を持たざるを得ない。

 出版社がつくる数々の文学賞も、芥川、直木の両賞以外は受賞しても本の売り上げに大きく寄与していない。
 そこで、書店サイドが文学賞をこしらえた。「本屋大賞」がそれだ。全国の書店員が選んだ「面白くて、売れる本」に与えられる賞だ。
 これをさらに発展させて、「面白くて、売れる本」を書店サイドが提案し、書かせてて、それを出版社に出版させようという企てなのだ。

 本は出版社が企画して作家に書かせ、出版して、書店に販売させる、という生産者→流通→消費者の一方向の流れは江戸時代であろうと近代であろうと変わることはなかった。(*註)
 それを消費者にもっとも近い書店が売れる本を企画提案、あるいは試作までして、それを生産者である
出版社につくらせる、消費者→流通→生産者→流通→消費者と循環する流れをつくろうというのである。

 これはマーケティングというもので、消費者が欲しがっているものをみつけて、流通業者が主体的に生産者につくらせるシステムであり、スーパー、デパート、コンビニではめずらしくもない。
 映画の制作ですら、ハリウッドではモニターの意見で映画の編集が変更されるというではないか。

 ついに、本をつくるシステムにも、大きな変化の波が来ようとしているのだろうか。

 作家は、消費者が欲しがっているものを提供する生産者、という位置づけがなさせる時代が来るのだろうか。

 *註:書籍の流通に「生産者」「消費者」という語彙は耳になじまないのですが、
    ここでは、マーケティング理論からの説明上、あえて使用しています。

    しかし、近頃の本の読まれ方を見ていると、本は菓子やTシャツ同様に「消費」されて
    いるといえる。雑誌、コミックスについては、いうまでもないでしょう。

    書籍は特別のモノではなくなりつつあります。