卯雲(ぼううん)先生

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 木室卯雲(きむろぼううん)の《菜売》を先に紹介しましたが、今回は、この卯雲先生の話を読んで
もらいましょう。

 まず上掲の肖像画ですが、晩年のお姿のようです。髪は白く、寒いとみえて首巻に綿入れを着込んでおいでになる。そばには刀が見えています。

 卯雲先生はお武家です。幕臣下谷黒門町に住んでいました。御広敷番の番頭(ばんがしら)になったということですが、さほどの役職ではありません。
 しかし風流の道では、かなりの有名人だったようです。

 江戸狂歌のヒーローである大田南畝(おおたなんぽ)が、四方赤良(よものあから)という名前で狂歌を始めたときには、卯雲先生はすでに白鯉館卯雲(はくりかんぼううん)の名前で狂歌をよんでいました。つまり、卯雲先生は狂歌において大田南畝の先輩でした。

 南畝が『万載狂歌集』を編集したときには、卯雲の狂歌を25首も採っています。よほど卯雲先輩の
歌を高く買っていたのでしょう。

 南畝は下谷の卯雲先生を訪ねたときに、こんな歌をよんで敬意を表しています。


       狂歌をば天井までもひびかせて 下谷にすめる翁(おきな)とはばや


 南畝が山手馬鹿人(やまてのばかひと)の名前で小咄本を書きはじめた時には、卯雲先生はすでに
『鹿の子餅』を出版しておりまして、その本こそは江戸小咄本の祖といわれたほど、記念碑的な作だった
わけで、ここでも卯雲先生は南畝の大先輩だったのです。

 『万載狂歌集』が出版された天明3年(1783)には大田南畝は35歳、そして卯雲先生は76歳
でしたが、その年に卯雲先生は亡くなりました。

 話が専門的になってしまって、面白くないでしょうが、あとひとつだけ、しゃべらせてください。

 卯雲先生は御広敷番の頭に任ぜられたと、上に書きましたが、そのころ詠んだ狂歌を紹介します。


       色黒くかしらの赤き我なれば 番の頭になりさうなもの
 

 鷭(ばん)というクイナの仲間の鳥がいます。全身灰黒色で、額が赤い鳥です。そのバンにかけた狂歌です。

 さて、卯雲先生の小咄をはじめましょう。
 いずれも安永元年(1772)刊行の『鹿の子餅』から。


       《浪人》

 (予備知識:浪人とは禄を離れた失業中のおさむらい。時代劇などで傘はりしたり、用心棒をしたり、
  長屋で手習いの師匠をしたりして生活している貧乏浪人のこと。
  そこへ、おあまり貰いがやってくる。乞食のことで、いまでは「乞食」とは死語か差別語とかで、
  使われなくなっている言葉かも。
  
  雨が降る日には、誰も浪人のところへなど、訪ねてくるものとていない。空威張りしてみせる
  相手もいないわけ。雨が上がったので、物貰いが貧乏屋敷にもやってきた。
  そこで、さっそく武士の空威張りが見せられた、というしだい。ではいったい、なにを自慢して
  威張ってみせるのか)

    雨のふる日は真の浪人と来て、晴れ間まつ張肘(はりひじ)の門口、おあまり貰いが立って、
   「おあまり下さいましょう」
   浪人くすみ返って(大まじめになって)、
   「あまらぬ」

  この浪人は肘を張ったようにいかめしい門構えの屋敷にはすんでいるようす。そこへ
  「おあまり下さいましょう」とやってきたものだから、威張り腐っていう言葉が「あまらぬ」。
  あまるどころか、食べるにもことかいている浪人が、「あまらぬ」。

  この感じ、わくわく亭は好きなんだけど、どうだろう。


       《御髭》(おひげ)

    お大名、御髭を剃らせ給うとき、お舌で鼻の下や御頬ぺたをふくらませ給う。
   「なんと、おれが髭を剃るとき、舌をまいて、はたらかせ、ふくらませるで、剃りよくはないか」
   との御意。
   「イヤハヤ、格別つかまつりようござります」
   「その筈(はず)。これはおれが工夫じゃ」

  髭を剃るとき、頬をふくらませたりするのは、誰でもやっていることで、おれが工夫じゃ、と自慢
  するお大名の世間常識の無さをからかったもの。
  これも、わくわく亭の好きな話です。どうでしょう?


 まあ、いかにも知識人のお武家らしい卯雲先生の小咄です。


       《小便》

    雪の夜中、小便つまりて目さめ、起きて立出で、雨戸明けにかかったところ、凍りついて、 
   いかなこと明かず。
    仕方なければ、敷居へかがんで小便をたれかけ、さて明けてみれば、氷とけて、
   ぐわらりと明いたり。
   「よし」と言いて出たところが、何も用なし。

 これに解説はいりませんね。ポカンとした感じが、くすっと笑えていいじゃないですか。


       《恋病》(こいやみ)

    恋はおなごのしゃくのたね。むすめざかりの物思い寝。
   ただではないとみてとる乳母。しめやかに問うは、
   「おまえのしゃくも、わたしが推量ちがいはあるまい。だれさんじゃ、いいなされ。
   となりの繁(しげ)さまか」
   「イイヤ」
   「そんなら向うの文鳥(ぶんちょう)さまか」
   「イイヤ」
   「してまただれじゃえ」
   娘、まじめになり、
   「だれでもよい」

  まだ恋する相手がいなくても、恋わずらいする娘ごころ。現代の中、高生にもまだいるのじゃないかね。女子中、高生からコメントほしいところだよ。

 卯雲先生の小咄には品性があるね。

 次回も卯雲先生に登場ねがいましょう。