間男(まおとこ)
不倫は現代でも絶えることはないけれど、命懸けでやっている不倫は少ないだろう。
江戸時代にも不倫はありましたが、それは命懸けだったのですよ。とくに結婚している女性の不倫は
「姦通罪」という罪に問われたもので、死罪という重い刑罰を科せられた。
亭主どもは芸者遊びをしたり、めかけを囲ったり、下女に手をだしたりしても、どこからも文句はでない。女性の不倫は処罰するが、男性の不倫には寛大な男女不平等の社会だった。
だからこそ、人妻が不倫をするときは、自分の生命を懸けた、それこそ必死の覚悟だったわけで、
それだけに激しい愛の炎が燃え盛ったわけだよ。
それではバランスが悪かろう、というのが理由かどうかは分からないが、江戸小咄には女房を間男される“間抜けな”亭主を笑う話がとても多いのです。
江戸の女たちはそうした小咄を聞いたり、読んだりするときには、「いやですねえ」などと適当にいなしたりしても、腹の底では、さぞかし溜飲を下げたことだろう。
江戸初期の寛永年間にまとめられた『きのふはけふの物語』から1つ。
《寝とられ亭主》
「おまえの女房を、人が寝取っているのを知らぬのか。さてさて、うつけじゃ。
他所へ行くふりをして隠れて、現場を見つけ、打ち殺せ」
「承知した」と二階に隠れて待つほどに、案の定、間男が来た。
さまざまの痴態のあげく、女は、
「真実思うてくれるなら、前をねぶってくれるものじゃ。おまえは、わたしを真実いとしいと
思うてくれぬとみえる」となじる。
男「一命かけて、このように忍んで参るに、お疑いめさるか。いますぐ、ねぶってみせましょう」
と顔をさし寄せども、あまりの臭さに、舌の代わりに鼻でなでた。
女房「今のは、鼻じゃ」と、とがめると、男は、
「いや、舌じゃ」と言い張る。
「いや、鼻じゃ」
「いやいや、舌じゃ」
さかんに言い争うのを、亭主二階の節穴からのぞき、
「どちらのひいきでもないが、今のは鼻じゃ、鼻じゃ」
この話には別のヴァージョンがある。それも紹介しましょう。
さまざまの痴態のあげく、女は、
「真実思うてくれるなら、前をねぶってくれるものじゃ。おまえは、なぜねぶってはくれぬ。
ねぶってくれぬなら、もうさせぬ」
「ならば、いますぐに、ねぶってみせましょう」
男は指で、女の前をくじり、その指をば除(の)けて、別の指をなめてみせる。
かのうつけの亭主、これを見て、二階から、
「これ女房よ、油断すな。指にごまかしがあるぞ」
隠れた二階から、折角不倫の現場を目撃しながら、間抜けな亭主は、わが女房のみかたをするお人好し。
こんな亭主では、二階から下りてきて、現場をとりおさえたとしても、悪知恵の働く間男にまんまと、ごまかされてしまうだろう。
つぎの話は、そんな二階から下りてきたマヌケ亭主のてんまつを、安永2年刊の『軽口開談議』から。
《亭主の空眼》
女房、近所の男とねんごろにしていたりけるが、亭主二階にて仕事しておるとき、下にて
女房を仰向けにしてのしかかるを見て、
「ヤレ、間男」と声かくれば、ちゃっと飛び退き、そしらぬ顔をして、
「こなたは何をいわっしゃる」
亭主「二階から見れば、両人とも、そこでいたしておるによって声かけた」
男「滅相な、昼中にどうなるものじゃ。つい、このようにコタツにあたっていたばかりじゃ」
といいければ、亭主、なおすまぬ顔しているを見て、
「さてさて、疑い深い人かな。さようなら、いまいちど二階へ上がって見給え。大方このように
コタツにあたっているのが、上からでは、女としているように見えるのであろう」
亭主、いかさま、と二階へ上がるうちに、ちゃっと男は女房の腹にのっかかり、又していれば、
亭主二階からのぞき、
「ほんに、ここから見れば、とんと、しているような」
中国の『笑府』(岩波文庫)にあるつぎの話も、マヌケな亭主の話。おまけに、これもご覧ください。
《薬をぬる》
ある女房、隠し所にできものができたので、医者を呼ぶと、医者、その亭主がバカだと知り、
「この薬は、わしが自分でぬってあげなくてはいけない」
といって、薬を亀頭にぬりつけ、女房とことをおこなった。
亭主、そばでそれを見ており、大分たってから、
「もし、あの薬を上につけてなかったら、わたくし、何としても、へんに気をまわしたこと
でしょうなあ」
上の枕絵は葛飾北斎の娘お栄が『繪本つひの雛形』で、葛飾應為の画号で画いたもの。
父の北斎の画く女よりも、はるかに色っぽい。
江戸時代にも不倫はありましたが、それは命懸けだったのですよ。とくに結婚している女性の不倫は
「姦通罪」という罪に問われたもので、死罪という重い刑罰を科せられた。
亭主どもは芸者遊びをしたり、めかけを囲ったり、下女に手をだしたりしても、どこからも文句はでない。女性の不倫は処罰するが、男性の不倫には寛大な男女不平等の社会だった。
だからこそ、人妻が不倫をするときは、自分の生命を懸けた、それこそ必死の覚悟だったわけで、
それだけに激しい愛の炎が燃え盛ったわけだよ。
それではバランスが悪かろう、というのが理由かどうかは分からないが、江戸小咄には女房を間男される“間抜けな”亭主を笑う話がとても多いのです。
江戸の女たちはそうした小咄を聞いたり、読んだりするときには、「いやですねえ」などと適当にいなしたりしても、腹の底では、さぞかし溜飲を下げたことだろう。
江戸初期の寛永年間にまとめられた『きのふはけふの物語』から1つ。
《寝とられ亭主》
「おまえの女房を、人が寝取っているのを知らぬのか。さてさて、うつけじゃ。
他所へ行くふりをして隠れて、現場を見つけ、打ち殺せ」
「承知した」と二階に隠れて待つほどに、案の定、間男が来た。
さまざまの痴態のあげく、女は、
「真実思うてくれるなら、前をねぶってくれるものじゃ。おまえは、わたしを真実いとしいと
思うてくれぬとみえる」となじる。
男「一命かけて、このように忍んで参るに、お疑いめさるか。いますぐ、ねぶってみせましょう」
と顔をさし寄せども、あまりの臭さに、舌の代わりに鼻でなでた。
女房「今のは、鼻じゃ」と、とがめると、男は、
「いや、舌じゃ」と言い張る。
「いや、鼻じゃ」
「いやいや、舌じゃ」
さかんに言い争うのを、亭主二階の節穴からのぞき、
「どちらのひいきでもないが、今のは鼻じゃ、鼻じゃ」
この話には別のヴァージョンがある。それも紹介しましょう。
さまざまの痴態のあげく、女は、
「真実思うてくれるなら、前をねぶってくれるものじゃ。おまえは、なぜねぶってはくれぬ。
ねぶってくれぬなら、もうさせぬ」
「ならば、いますぐに、ねぶってみせましょう」
男は指で、女の前をくじり、その指をば除(の)けて、別の指をなめてみせる。
かのうつけの亭主、これを見て、二階から、
「これ女房よ、油断すな。指にごまかしがあるぞ」
隠れた二階から、折角不倫の現場を目撃しながら、間抜けな亭主は、わが女房のみかたをするお人好し。
こんな亭主では、二階から下りてきて、現場をとりおさえたとしても、悪知恵の働く間男にまんまと、ごまかされてしまうだろう。
つぎの話は、そんな二階から下りてきたマヌケ亭主のてんまつを、安永2年刊の『軽口開談議』から。
《亭主の空眼》
女房、近所の男とねんごろにしていたりけるが、亭主二階にて仕事しておるとき、下にて
女房を仰向けにしてのしかかるを見て、
「ヤレ、間男」と声かくれば、ちゃっと飛び退き、そしらぬ顔をして、
「こなたは何をいわっしゃる」
亭主「二階から見れば、両人とも、そこでいたしておるによって声かけた」
男「滅相な、昼中にどうなるものじゃ。つい、このようにコタツにあたっていたばかりじゃ」
といいければ、亭主、なおすまぬ顔しているを見て、
「さてさて、疑い深い人かな。さようなら、いまいちど二階へ上がって見給え。大方このように
コタツにあたっているのが、上からでは、女としているように見えるのであろう」
亭主、いかさま、と二階へ上がるうちに、ちゃっと男は女房の腹にのっかかり、又していれば、
亭主二階からのぞき、
「ほんに、ここから見れば、とんと、しているような」
中国の『笑府』(岩波文庫)にあるつぎの話も、マヌケな亭主の話。おまけに、これもご覧ください。
《薬をぬる》
ある女房、隠し所にできものができたので、医者を呼ぶと、医者、その亭主がバカだと知り、
「この薬は、わしが自分でぬってあげなくてはいけない」
といって、薬を亀頭にぬりつけ、女房とことをおこなった。
亭主、そばでそれを見ており、大分たってから、
「もし、あの薬を上につけてなかったら、わたくし、何としても、へんに気をまわしたこと
でしょうなあ」
上の枕絵は葛飾北斎の娘お栄が『繪本つひの雛形』で、葛飾應為の画号で画いたもの。
父の北斎の画く女よりも、はるかに色っぽい。