尾道の海がきれいだったころ

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 わくわく亭が少年の頃、尾道の海はきれいだった。

 夏になると、海水浴場までいかなくても、すぐ目の前の海に、ともだちとつれだって遊びにいったものだ。
 渡船(とせん)で向島に渡って泳ぐもいいし、水道を泳いで渡ったこともあった。

 わくわく亭の小説『尾道船場かいわい』にも『尾道物語・純情篇』にも、そのような真夏の海での遊びが描かれている。

 「ふるさとの想い出写真集 尾道」(国書刊行会)から、尾崎海岸で遊ぶこどもたちの写真を紹介します。昭和29年ころの撮影ということです。

 少年が持ち出してきたのはタライです。タライを浮かべて、浮き輪のかわりにしたものだ。小さい子なら、タライにのせて浮かべてやった。
 そんな海での遊びは、いつもこどもたちだけで、まわりに親たちはいなかった。
 
 いまなら、危険だからといって、親たちは許しはしないだろう。

 その時代、こどもの数が多すぎて、親たちもかまいきれなかったのだだろうし、こどもはこどもで危険にはちゃんと対応する心得を身につけていた。

 ただし、いまでも思い出すとぞっとするような、危険な思いは何回か体験している。実地に危険回避の体験をかさねて、大きくなったということだよね。

 それにしても、海はきれいだった。