「母の詭弁集」から

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 わくわく亭は同人誌『姫路文学』119号に「母の詭弁集(きべんしゅう)」という作品を発表しました。
 晩年のわくわく亭の母のエピソードをつづったものです。

 母は91歳になって病気入院し、退院して帰宅したのですが、血圧を下げる薬と、興奮を抑えるための安定剤を服用すると眠くなり、はっきりした昼夜の区別なしに睡眠と覚醒がつながってくるから、僕らの生活時間と矛盾するようになります。

 2階に寝ている僕たちを、真下の部屋から大声で呼ぶのです。夜中の1時であろうと、未明の4時であろうと、目がさめたとたんに淋しさと不安を感じて、家族からの反応が欲しければ、ちゅうちょなく呼ぶわけです。
 御前1時に起こされ、また2時に、また4時に呼び起こされれば、たまったものじゃない。
 そのたびに、腹立たしくも、おかしい母のエピソードがうまれたので、わくわく亭はノートをつけて
「母の詭弁集」とタイトルをつけたというしだいです。
 詭弁としたのは、ああ言えばこう言う、と口では決して負けない母の弁舌、とでもいうつもりです。

 その中から、いくつかブログに転載します。


       《その1》

  テレビがうるさい。いかに土曜の午後にしても、がまんならない大音響である。
 母はリモコンのチャンネルのボタンを押すつもりで、ボリュームのボタンを連続して押したり
 するから、バカでかい音量になってしまう。
  そのままにして、うたたねしているのだろう。くそっと、読みかけの本を伏せると、僕は
 2階からおりていく。
  母は昼間の半分は眠っているものだから、夜は眠れない。夜眠れないから、昼間ねてしまう。
  案の定、半分起こした電動ベッドのなかに、埋もれるようになって、眠っている。

  眼を覚まさぬように、そっとテレビに近寄って消す。まだ音が鳴っているのはラジオである。
 これも消して、部屋を出ようとする。
 「なにかしてくれたの」と母の声。
 「眠っているらしいから、テレビとラジオを消したんだ」
 「ありがとう」
  母がなにか言い出すまえに退散したい僕の背に、母の声が追いかける。
 「ねてたんじゃなくて、ちょっと眼をふさいでいただけなんだがね」


       《その2》

  深夜映画番組を見終わって、テレビを消した。さて寝るかと時計を見ると、2時が近い。
 となりの母の部屋のテレビの音がやけに高い。
  夕食後にのむ睡眠導入剤は3時間ていどしかきかないから、夜半過ぎには眼がさめる。
 さめるとテレビを昼間の音量のままでつけるのだ。
  音量を小さくさせようと、母の部屋をのぞく。
 「音を小さくするよ」
 「見てないから、消してくれる」
 「見ないなら、自分で消せばいいだろう」
 「なぜ」
 「なぜって、夜中の2時だよ。真上で寝てるおれたちが眠れないだろ」
 「いま、なんじなの」
 「だから2時だよ」
 「昼の2時じゃないの」母はとぼけてみせる。
 「夜中だよ。高窓の外を見てごらん。真っ暗だろ」
 「おきたばかりで、わからないのよ。それは悪かったね」
 「みんなが寝ている時間には、おふくろも寝るんだね。まわりが迷惑するから」
 「ねむれないのよ」
 「昼間ずっと寝てるから、夜ねむれないんじゃないか。昼間は寝ないで、
  夜寝るようにすればいいんだよ」
 「わかりました」
  うらめしそうな眼で、ベッドの上から僕を見上げて、
 「みんなが寝ている時間に、おまえはどうして寝ないの」


               〈つづく〉