きのふはけふの物語
8月8日が立秋だったから、今は「秋」なんだろうが、なんともすさまじい猛暑がつづく。
わくわく亭は家の外に出ないでいます。それでも、玄関にある温度計は気温34度を表示しています。
屋外は36度とか37度でしょう。これでは外を歩くのは、熱中症になろうとするようなもの。
冷蔵庫のドアをいそがしく開け閉てして、「スーパードライ」のひんやりした肌をなでなでしながら、
暑気払いに、有名な『きのふはけふの物語』から艶笑話をブログに紹介することにしましょう。
『きのふはけふの物語』とは「昨日は今日の物語」と漢字表記すれば読み易いでしょう。
江戸初期の寛永期にまとめられた小咄本で、いわば江戸小咄本の祖ともいえるものです。
戦国時代の荒っぽい風俗習慣を、色濃く残していた江戸初期だけに、話は下ネタが多くて、おおらかなエロ話が中心になっています。
暑いときには、理屈っぽい笑いより、その手の話にかぎるとは、わくわく亭の女房の意見でもありますが、ごもっとも、ごもっとも、ということにて、まずは次なる話を。
《それは貧乏のこと》
若い者たちが寄り合って話すうち、ある男が、
「このごろは全く仕事が暇なので、女遊びもできず、もっぱら、センズリかきして暮らしておる」
と語るのを、隣の大奥様が耳にしたが、センズリの意味がわからない。
疑問に思い、嫁に聞こうか、いやいっそ、心安く息子にたずねてみようと、息子にきくと、
「貧乏のことを、さように申します」
その後、客人が来たとき、大奥様は、お客に挨拶した。
「昔は、どうにか暮らしておりましたが、主人が亡くなってからは、息子も自分もセンズリばかり
かき申して、なんのおもてなしもできず、お恥ずかしいことでございます」
センズリの語意を知らない女性であるからは、庶民階級の女性ではないでしょう。深窓に育った、まだ色香の残った後家さんが、使い慣れない「最新語」を使ってみようとして失敗した話です。
それを聞いた客たちは、どんな顔をしたか、なんと返答したか、想像してみると、おかしさが増大してきますでしょう。
これと、よく似た小咄が安永3年の『豆談語』にありますが、こちらの主人公は、色っぽい気品のある後家さんではなくて、身分の低いものの言葉を聞いたことがないお大名です。
《車屋》
車屋が坂を車を引いて上る。
そのうち弱い者を叱るとて、
「こいつはセンズリばかりかきおるから」というを、お大名、駕篭(かご)の内にてお聞きあり、
屋敷へ帰って、
「センズリとはなんのことじゃ」と用人にお尋ねありければ、用人ご返答にこまり、
「お上にご存知なくとも宜しき儀」と申上げれどもご承引なく、是非是非との儀。
用人「しからば、申上げましょう。朝寝を致すもののこと」と申上げれば、
折節、若殿が朝寝をなされ、大殿の前へお出でありければ、大勢の家臣どもに聞かせるように、
「其の方、いつからセンズリかきになったぞ。いまからそれでは、後に大センズリかきになろう」
殿様は江戸小咄では笑いの恰好のターゲットにされています。庶民の目からすれば、宮殿やお城に住んでいる人たちは、下々のようなセックスの知識などは、まるで持ち合わせていないように見えたのでしょう。
(ところが実際は逆で、そうした人たちの方が性的知識は豊富だったのですよ。金と暇のある階層の人たちは、庶民よりも体験豊富で研究熱心だったのは、世界どこでも共通の事実のようです)
それはとにかくとして、無知の殿さまがうける性教育の話を、江戸天明期の小咄本『腹受想』から。
《殿様》
殿様、ご近習(きんじゅう)をひそかにまねき、
「女とは、くだんのことを、いかにするものか」と仰せければ、
近習「ご指南申します。されば、お上はおそれ、ものかげよりご覧あそばせませ」とて、
14,5なる腰元を呼び出し、
「御意(ぎょい)なり」とてつかまえ、大きなる物にてするゆえ入らず。
つばきをたびたびつけてする。
殿、つくづくご覧あって、
「何もかも知れたが、ときどき、拾うて食う物、あれはなんじゃ」
ようやく陽が落ちました。
テレビのニュースが、どこやらで38度だったと報じています。熱中症による死者も出たらしい。
わくわく亭が家にひきこもって、ビールと仲良くしていたのは正解だったようです。
わくわく亭は家の外に出ないでいます。それでも、玄関にある温度計は気温34度を表示しています。
屋外は36度とか37度でしょう。これでは外を歩くのは、熱中症になろうとするようなもの。
冷蔵庫のドアをいそがしく開け閉てして、「スーパードライ」のひんやりした肌をなでなでしながら、
暑気払いに、有名な『きのふはけふの物語』から艶笑話をブログに紹介することにしましょう。
『きのふはけふの物語』とは「昨日は今日の物語」と漢字表記すれば読み易いでしょう。
江戸初期の寛永期にまとめられた小咄本で、いわば江戸小咄本の祖ともいえるものです。
戦国時代の荒っぽい風俗習慣を、色濃く残していた江戸初期だけに、話は下ネタが多くて、おおらかなエロ話が中心になっています。
暑いときには、理屈っぽい笑いより、その手の話にかぎるとは、わくわく亭の女房の意見でもありますが、ごもっとも、ごもっとも、ということにて、まずは次なる話を。
《それは貧乏のこと》
若い者たちが寄り合って話すうち、ある男が、
「このごろは全く仕事が暇なので、女遊びもできず、もっぱら、センズリかきして暮らしておる」
と語るのを、隣の大奥様が耳にしたが、センズリの意味がわからない。
疑問に思い、嫁に聞こうか、いやいっそ、心安く息子にたずねてみようと、息子にきくと、
「貧乏のことを、さように申します」
その後、客人が来たとき、大奥様は、お客に挨拶した。
「昔は、どうにか暮らしておりましたが、主人が亡くなってからは、息子も自分もセンズリばかり
かき申して、なんのおもてなしもできず、お恥ずかしいことでございます」
センズリの語意を知らない女性であるからは、庶民階級の女性ではないでしょう。深窓に育った、まだ色香の残った後家さんが、使い慣れない「最新語」を使ってみようとして失敗した話です。
それを聞いた客たちは、どんな顔をしたか、なんと返答したか、想像してみると、おかしさが増大してきますでしょう。
これと、よく似た小咄が安永3年の『豆談語』にありますが、こちらの主人公は、色っぽい気品のある後家さんではなくて、身分の低いものの言葉を聞いたことがないお大名です。
《車屋》
車屋が坂を車を引いて上る。
そのうち弱い者を叱るとて、
「こいつはセンズリばかりかきおるから」というを、お大名、駕篭(かご)の内にてお聞きあり、
屋敷へ帰って、
「センズリとはなんのことじゃ」と用人にお尋ねありければ、用人ご返答にこまり、
「お上にご存知なくとも宜しき儀」と申上げれどもご承引なく、是非是非との儀。
用人「しからば、申上げましょう。朝寝を致すもののこと」と申上げれば、
折節、若殿が朝寝をなされ、大殿の前へお出でありければ、大勢の家臣どもに聞かせるように、
「其の方、いつからセンズリかきになったぞ。いまからそれでは、後に大センズリかきになろう」
殿様は江戸小咄では笑いの恰好のターゲットにされています。庶民の目からすれば、宮殿やお城に住んでいる人たちは、下々のようなセックスの知識などは、まるで持ち合わせていないように見えたのでしょう。
(ところが実際は逆で、そうした人たちの方が性的知識は豊富だったのですよ。金と暇のある階層の人たちは、庶民よりも体験豊富で研究熱心だったのは、世界どこでも共通の事実のようです)
それはとにかくとして、無知の殿さまがうける性教育の話を、江戸天明期の小咄本『腹受想』から。
《殿様》
殿様、ご近習(きんじゅう)をひそかにまねき、
「女とは、くだんのことを、いかにするものか」と仰せければ、
近習「ご指南申します。されば、お上はおそれ、ものかげよりご覧あそばせませ」とて、
14,5なる腰元を呼び出し、
「御意(ぎょい)なり」とてつかまえ、大きなる物にてするゆえ入らず。
つばきをたびたびつけてする。
殿、つくづくご覧あって、
「何もかも知れたが、ときどき、拾うて食う物、あれはなんじゃ」
ようやく陽が落ちました。
テレビのニュースが、どこやらで38度だったと報じています。熱中症による死者も出たらしい。
わくわく亭が家にひきこもって、ビールと仲良くしていたのは正解だったようです。