回天特別攻撃隊

 8月12日(日)に僕は桜ヶ丘昭和史研究会が催した映画上映会にいった。

 桜ヶ丘の昭和史研究会は、京王線聖蹟桜ヶ丘にあって、わくわく亭の友人であるノンフィクション作家高宮檀さんが中心になって立ち上げたもので、昭和のさまざまな事件をテーマとして取り上げて、関連する映画を上映し、関係者、専門家を招いて講演を聞きながら、昭和という時代を振り返ろうという趣旨の会です。

 ほぼ毎月一回日曜日の午後に開催されており、今月の会が12日にあって、8月15日の終戦記念日が近いので、上映映画は『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』だった。

 映画は昭和38年に東映が制作したもので、鶴田浩二松方弘樹など東映人気俳優総出演の豪華版。昭和39年正月上映の、いわゆる「お正月映画」だった。

 上映にさきだって、桜ヶ丘のお住まいになっている女性の談話があった。85歳の老婦人で、彼女の父親、夫はともに職業軍人だった。
 彼女の友人の兄さんが、学徒兵として出征し、回天特別攻撃隊に配属され、作戦前の訓練中に死亡したという話をしてくださった。
 回天は操縦性が悪く、海底に沈んでしまうと浮上できなくて、訓練中の事故死が多かったということだった。なにしろ、魚雷に兵を乗せて敵艦にぶつけて自爆攻撃するという「必死」兵器であるから、操縦性などは無視した設計になっていたものらしい。
 映画の中で、鶴田浩二が訓練中の事故で浮上できず、海底で酸欠死亡するのだが、まさしく今聞いた実話そのままだった。
 そして、彼女は「回天の戦果は油槽船1隻だけだったと聞いております」とおっしゃった。

 映画は昭和19年11月に回天「菊水隊」は出撃し、西カロリン諸島で在泊するアメリカの艦隊を攻撃し、3基の回天が発信して、空母と戦艦を撃沈するところで終わる。
 わくわく亭は涙がとまらなかった。
 僕の前の席には、さきほど談話をなさった老婦人がいたのだが、彼女は泣いたりすることなく、映画がどのように事実を映像化しているかを熱心にご覧のようすにみえた。

 上映のあとで、高宮さんたちと数人でビールを飲んで、映画の中の戦果はどのていど事実だったのか話題となった。

 わくわく亭は家に帰ってからしらべてみた。
 すると、やはり事実は映画とは違っていた。

 菊水隊の戦果は油槽艦1隻を撃沈したにとどまったということだ。老婦人がお話になったことはまったく正しかった。
 回天は8基のうち5基が発信して、油槽艦1隻の戦果だった。
 しかし司令部では、敵空母2隻、戦艦3隻という大戦果として正式発表していた。

 さすがに映画はその事実のままには脚本を書かなかった。しかし油槽艦1隻にするにはしのびなかったのだろう。それでは、映画にならない。そこで回天3基の発信で、空母と戦艦の合計3隻の戦果としたのだ。

 そのウソにも近い誇張をよくよくご存知の老婦人は、映画で泣くことなく、事実をどのように映像化しているかをご覧になっていたのだ。

 もちろん、戦争で父を夫を亡くされて、人前を避け、陰で泣ききってこられたお人だろう。

 この映画で涙している、戦後育ちの僕らとは別段の覚悟をもって戦後を生きてこられたお人にちがいない。上品で、知的な老婦人だった。