(4)藤沢周平さんの旧宅

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 藤沢周平さんの旧宅があった袋小路の写真を6月7日のブログに貼附したが、そのときに撮ってきた別の写真もここで見ていただこう。藤沢家のあった周辺がどんな雰囲気だったかがわかるから、全国の藤沢ファンにはお役に立つのではないだろうか。

 袋小路の写真をもう一回見てください。左の角が民謡歌手の原田直之さんの家。藤沢さんの旧宅は左側にあった。

 つぎの写真は路地から出た表の道路。静かな住宅地だ。手前100メートルでバス通りにでる。

 つぎの写真は前方に50メートルほど行ったところ。写真右に手入れのいい生け垣が見える「湯殿
山本教」という教団の玄関口である。藤沢さんの旧宅があった袋小路から3軒目ということになる。

 さいごの写真はその「湯殿山本教」正面の写真。

 なぜ、このさいごの写真を掲げたかというと、藤沢さんには『春秋山伏記』という作品があって、故郷の出羽三山と山伏を描いた小説。出羽三山とは、月山、湯殿山羽黒山のことで、古来より修験道の聖なる山域とされている。
 
 藤沢さんは、この町に移転してきたとき、近所に湯殿山に縁がありそうな教団の建物があることを知って、少なからず気になったことだろうと、僕は想像する。

 藤沢さんが大泉学園町に越してきたのが1976年の11月だったが、その翌年の1月から12月まで
『春秋山伏記』が「家の光」に連載された。
 藤沢さんにとって、湯殿山と名の付くものには特別の感情があったと思われる。

 藤沢さんの随筆集には、「出羽三山」とか「羽黒の呪術者たち」といった作があって、こんな子供のころの記憶を書いている。

 《私が子供の頃、彼らはそのほら貝を吹き、兜巾、結袈裟の山伏装束をつけ、金剛杖を突き、高足駄をはいて、村にやって来た。そして家家に羽黒山のおふだを配って回った》

 《山伏とはべつに、村にはおんぎょうさまと呼ばれる白衣、宝冠姿の行者もやって来た。彼らもやはりおふだを配ったり、ご祈祷をしたり、病人をなおしたりした。彼らは湯殿山から来たように記憶している》

 散歩に出るたびに藤沢さんは「湯殿山」の文字を目にして、郷里の出羽三山湯殿山、修験者、そして
「おんぎょうさま」の遠い記憶がくりかえし蘇ったことだろう。

 そのように考えてみて、わくわく亭はさいごの写真を捨ててしまえなかったのであります。