江戸小咄ベスト100

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 山手馬鹿人の名前で大田南畝が書いた江戸小咄(こばなし)を紹介していましたが、タイトルを変更します。

 彼以外のたくさんの作者による、もっと笑えるもの、もっと艶なるもの、うなるほどに才気溢れる
ものを選んで紹介したくなりました。

 わくわく亭はかねてより、江戸小咄ベスト100を選定しておりましたので、そこからぼちぼち
ご披露します。
 
 どっとやりますと、ブログのネタが尽きてしまうというセコイ理由からですが、たとえ笑いすぎて腸捻転を起こしたり、大らかな艶笑(エロチックな)ものに腰を抜かしたり、鼻血を出そうとも、わくわく亭では一切責任をもちませんから、そのお覚悟にて、どうぞ。
 
 江戸小咄とは、読むだけで、たちまち時空を超えて、大江戸のど真ん中に降り立つというタイムマシーンです。

 それでは、タイムマシーンへのご乗船はこちらからです、どうぞお楽しみあれ。


 さて、どれから始めようかと、古いノートをひらいたりしていると、新場散人(さんばさんじん)が書いた安永10年の本『はつ鰹』に出くわした。
 
 新場散人もまた大田南畝の戯作名です。読んでみれば、黙って通りすぎができない話がいくつもあります。

《新宿》という短い話。
 いまの新宿あたりは、江戸時代内藤新宿と呼ばれて甲州街道ぞいの宿場町だった。宿屋は飯盛り女をおいて、女郎とおなじ商売をさせていた。幕府は吉原以外は遊郭を公認していなかったから新宿は遊郭の看板はあげてないものの、西の江戸の出口である品川宿とならぶ繁華な岡場所(おかばしょ)の代表だった。
 吉原以外の遊里をいっぱんに岡場所と総称するが、言葉のおこりは、吉原以外の「ほかの場所」だから
「ほか場所」がナマって岡場所になったという説が有力。

 新宿は馬が多かったから、当然遊女の客には馬子がたくさんいた。他方品川宿は海が近かったから、遊女の客には船頭がたくさんいた、という前提でつくられたはなし。
 もちろん、実際は武士も僧侶も商人も旅行するわけで、あらゆる身分階層の客はいたわけだが、そこはそれ、笑い話だから。

       
       《新宿》

   新宿の女郎、品川の女郎を悪くいうには、
  「品川の女郎衆は、りきんだこと(口幅ったいことば)をいっても下卑(げひ)だによ。
   ふだん船頭にばかりつき合うからだの。のう馬子どの」

 
 新宿の女郎が、品川の女郎の下品なことを悪く言っている。品川の客が、品の悪い船頭ばかりだから女郎が下品になるのもあたりまえだ、ねえそうだわね、と新宿の女郎が話す相手は、これも下品な新宿の馬子である。
 さすがに、大田南畝だ。こんなに短い会話で、宿場女の性格から、他人とくらべて、自分はまだましだと思いたがる人間性のおかしさ、あわれさを捉えてしまうのだから。


 つぎは《雪隠》(せっちん)という話です。雪隠とはトイレのことです。
 話を面白く味わうために、ちょっとした予備知識が必要です。
 
 江戸元禄期の俳人で、芭蕉の高弟だった宝井其角のエピソードです。
 事実かどうか、それは別として、いかにも豪快な性格の其角らしい逸話があって、それを下敷きにしてある小咄なんです。

 豪商の紀の国屋文左衛門が、満開の桜を画いた金屏風が完成して、それをお披露目するために人を招き酒宴をもよおした。紀文が其角にめでたい句で画賛をするようにたのんだところ、なんと、あろうことか、其角は「この所小便無用」と上の句を書いたではないか。
 紀文でなくとも、金屏風が汚されたような気がしただろう。紀文は不快な顔になった。すると、下の句を「花の山」とつけた。
 その一句に紀文はよろこび、記の国屋の家宝にしたという。
 
 上の句は別の俳人が酔った座興でつくったところ、記文が激怒し、その場を其角のつけた下の句が、めでたく救ったという逸話も伝わっている。

 どちらにしても、「この所小便無用花の山」の俳句を知ってないと、この小咄は面白くないのです。


      《雪隠》(せっちん)

   亭主、座敷の雪隠へ行き、あやまって、したたか踏板へたれかけ、女房へ掃除を頼んでいる
  ところへ、花見帰りの4,5人連れ、
  「ただいま、お見舞い申す」と、とも(下僕)をはしらせての知らせ。
  「外のことは困らぬが、この後架(こうか=トイレのこと)はどうしましょう」
  と、(女房が)気の毒がれば、
  亭主、「しかたがある」
  と、雪隠の戸へ張紙。
  「この所大便無用」

 小便無用ではなくて、大便無用と書いたおかしさ。
 現代人には、爆笑ものの話ではないだろうが、元禄時代の紀文の花見の金屏風、其角の才知ある
 一句をひっかけた、なんともゆかしい小咄だと、わくわく亭はベスト100に選んでいます。

 大田南畝幕臣だけに、どうしても笑いに節度がある。

 つぎは、がらりと変わって『今歳花時(ことしはなし)』から節度のないやつを。


       《針医》

 「お医者さま、これはご苦労です」
  娘が胸のさし込みの発作。おやじが力いっぱい押しつけている。
  まず針2,3本打ち込んだので、だいぶん腹もやわらいだから、針を口にくわえて、グウット
  腹をなでてヘソの下までなでおろすとき、手先へぼいやりと産毛(うぶげ)のようなが触ると、
  しきりに医者殿の下のつかえが木のように差し込み(勃起して)こたえられぬからの出来心。
   夜着(よぎ)の内でソット娘の手をしめたれば、だまっている。
   コレハよくしたものと、かの鯱鉾(しゃちほこ)のようにおこった一物(いちもつ)を
  握らせたれば、だまって握っている。
   この様子ならばと謀叛(むほん)のくわだて。
   おやじはヤハリ娘の腹を押さえているから、どうぞ親父をのけたいものじゃと思い、
  「コレコレ、モウ押さえずとよい。わしが丸薬を進ぜるほどに、白湯(さゆ)をぐらぐら
  わかしてござれ。急にわかしては悪い。とろりとろりとろりと、気長にとっくりとわいたが
  よいぞ」
  親父「かしこまりました」
  といいつつ、ぐずつく。
  医者「サア、わかしてござらぬか」
  親父「ハイ、モシ、この握ったものは、ドウいたしましょうぞ」


 暑いときは、文句なしに笑うがよいそうです。(わくわく亭の女房の弁です)

 それにしても、きのう今日と、練馬は37,8度ですぞ。もっと笑わねばなりませんな。

 
 それでは雪隠(せっちん)の話をもう一つやりましょう。江戸小咄の中興の祖といわれる木室卯雲(きむろぼううん)の安永6年刊『譚嚢』(たんのう)から。


       《菜売》(なうり)

    雪隠へいきたいをこらえこらえて行く侍、両国まで来、雪隠を方々さがせども見えず。
   橋のきわに菜売り、色青ざめて、荷ないの棒に腰をかけていたるまま。
   侍「ここらに雪隠はないか」と聞く。
   菜売り「わしも尋ねますが、ござりませぬ」
   「そんならお身も尋ねるか。尋ねるものが、なぜじっとしていやる」
   菜売り「立てば出ます」