「桂馬」の蒲鉾

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 尾道の蒲鉾といえば「桂馬」ということになります。

 尾道駅から東に歩き、本通り商店街をすすむと、まもなく右手に「桂馬蒲鉾店」はある。駅から歩いてものの5分ほどだ。

 創業90余年ということだ。僕が少年のころ、尾道の名物、みやげものといったら、鯛の浜焼き、でべらかれい、それから「桂馬」の蒲鉾だった。

 いまでは、東京の百貨店の食品売り場で、全国からあつめられた名品の仲間入りをしているのだから、その品質といい味覚といい、折り紙付きになったということだ。

 わくわく亭は「尾道サポーターの会」という、尾道出身の東京在住者がつどう会に参加しているのだが、年一回の会(第3回)が7月25日に銀座の資生堂パーラーであった。

 今年も桂馬蒲鉾商店から会社役員がお出でになっていた。専務の村上さんで、社長の奥さんだった。

 僕は一度、伯父のことをご存じかどうか訊いてみたいと思っていたので、「サポーターの会」代表の森本さんにお願いして、村上さんを紹介してもらった。

 「五郎という伯父がいたのですが、戦前も、そして戦後復員してからも桂馬さんで蒲鉾職人として働いていたのですが、ご存じかどうかと思いまして」

 とつぜんだったからだろう、村上さんは、ほんの一瞬、僕の質問を反芻するくらいの間を置いてから、
 「知っています。はい、おぼえています」とおっしゃった。

 「僕の母が五郎伯父の妹で、僕は甥です」
 「わたしは、まだ小さかったのですが、五郎さんのことは知っています。先代(村上さんの父)が五郎さんを、とてもいい職人だといって信頼していましたから。口数の少ない、腕のいい職人さんだった印象があります。ちょうど、あなたのような背丈で、くりっとした目をした人だったですね」

 僕は伯父に用があって、桂馬蒲鉾の工場へ行ったことがある。店の裏側が工場で、伯父は胸までもある長い作業着を着て、ゴム長をはいていた。工場はびっくりするほど高温多湿だった記憶がある。
 伯父は「なんの用なら。よう来たのう」と、にこやかに迎えてくれた。
 そこにあったのは、予期したような魚のにおいではなくて、うまそうな蒲鉾のにおいだった。

 村上さんが、いい職人だったという印象とともに五郎伯父を記憶していたことで、僕はしあわせな気持ちになった。
 桂馬の蒲鉾の味と質の伝統のどこかに、伯父の職人としてのなにかが伝わっていくような気がして、やっぱり、桂馬の蒲鉾は名品なのだ、と僕は自信をもっていえそうだ。