風呂場で小便するなかれ

 
 
 商道徳とか商人道というものが、かつて日本にはあって、三井や住友といった近代の財閥の江戸時代の創業家には商業道についての家訓があった。
 
 商人が士農工商身分制度の最下位にすえられたのは、自らはいかなる生産にも携わらず、生産者と消費者の中間に位置して、ひたすら利を稼ぐことを目的にするいやしい職業だと儒教的に考えられたからだった。
 儒教的な東洋ばかりとは、限らない。シェイクスピアの有名な『ベニスの商人』の世界でも同様に商人はいやしい職業と規定されている。
 
 そこで、商人たちは、いやしいとされる職業にも、正しい利の稼ぎ方があることを主張し、正しい稼ぎ方を守ることを商道徳として、子孫に家訓として伝えた。
 武士に武士道があれば、商人には商人道があると、商人として生きることを肯定したものだった。
 商人道は、さまざまに変容しながらも、商法が定められたあとも不文律として生き残ったはずだった。

 ところが、である。テレビでわれわれは不正や欺瞞を謝罪する企業首脳の姿を、うんざりするほど見せられた。銀行、保険会社、建設会社、マンション会社、自動車メーカー、ガス器具メーカー、エレベーター会社とあらゆる業種に及び、そして最近の介護サービス、人材派遣のグッドウイルの不正請求事件。
 きわめつきは、「消えた年金」を放置したまま、そしらぬ顔をしてきた社会保険庁である。

 商道徳なるものは地に墜ちた。

 このままでは、江戸時代に逆戻りして、商人はいやしい職業とみなされることになろう。

 法規制ではカバーしきれない部分、法による規制ではなじまい部分というものがある。そうした法規制の外側の部分ではたらくものが、道徳という不文律でしょう。
 松岡農水相、赤城新農水相が、「法にのっとって適切に処理している」と政治資金の使途についてする答弁は、まさに法規制からはみだした部分は、いかなる規制の対象とはならない、という論法で、上にいった道徳という不文律をみとめていない態度である。
 武士道、商人道は法令ではない。不文律である。政治家には「政治家道」はないのだろうか。

 それがないのであれば、いやしい職業とみなされてしまうだろう。

 わくわく亭らしくない固い物言いをしてしまったけれど、ここで、ほんらいの調子にもどります。

 日曜日のテレビで、漫画家の黒鉄ヒロシさんが面白いことをいった。

 「誰にも見られ無い場所でする行為、たとえば、ひとりで入っている風呂場で小便をけっしてしない人が本当の紳士である…」というようなことをいった。

 英国人でもいいそうな警句ですが、言い得て妙ですよ。

 グッドウイルの会長さん、北海道のミートホープの社長さん、中国北京でダンボール入りの肉まんを売っていた屋台の店主、そして赤城さん、みなさんは風呂場で小便しているでしょう。