『文学界』の同人雑誌評

 今期の芥川賞に『早稲田文学』から候補作が出た。22年ぶりのことだそうだ。候補作が出たというだけで、まだ受賞したわけでもないのに、ニュースになったほど、『早稲田文学』ばかりではなく近年同人雑誌からの候補作や受賞はレアケースなのだ。

 かつては東大、早稲田、慶応などの学内の同人雑誌からの受賞は珍しいことではなかったし、同人雑誌(たとえば、『VIKING』など)から見いだされ、商業誌の編集者から執筆依頼がきて、さらに芥川賞候補に挙げられるという幸運な同人誌作家たちも少なくなかった。

 ところが、いつのころからか、中央の文芸誌は同人雑誌を相手にしなくなって、同人誌もまた、新人作家を生み育てる修練の場所から、教養や趣味のサークル、あるいは地方文化サークルの場所へという変化に満足するようになってきた。
 
 雑誌『文学界』は全国の同人誌から優秀作を選び、毎月のように、『文学界』に転載していたもので、
それを目標にして同人誌作家は作品を書いていたものだ。
 そのたのみの綱の『文学界』は半年に1作品の転載へと縮小してしまい、せっかくの転載作品から芥川賞受賞したというおめでたいニュースも、この十年間に玄月さんのケース一件しか記憶にない。

 ところで現在、同人誌と中央との貴重なパイプとなってきたものが、『文学界』の同人雑誌評なのである。4人の評者が交代で3ヶ月づつ担当しており、大河内昭爾さんがその中心的な存在となっている。
 その大河内さんが2007年版『文芸年鑑』に、つぎのような文章を寄せている。

 《たとえば前記三人など、昔ならとうに文壇に出ているのではないかというのが私たち「文学界」同人雑誌評を担当する四人の意見だが、そういう風にはなかなか現在は動かない。旧文壇と様変わりして同人雑誌で頭角をあらわしても文壇作家としてストレートに受け入れられていた時代ではなくなった。
 また同人雑誌作家側にも問題があって、その障壁をいま一歩ふみ越えてプラスアルファーを示し得ないでいる場合が多い。
 プラスアルファーとは誰が見ても新鮮な鮮やかな切り口や話題性を作品が備えていることであろう。しかしそこにさらに年齢の壁が大きく立ちはだかる。》

 大河内さんが指摘するプラスアルファー、うんぬんは、確かに同人雑誌が抱えている障壁である。
同人誌作家たちの多くが昭和30~40年代に青春期をむかえて《純文学》に夢中になった世代に属する。彼らが理想とした《純文学》が、いまでは過去の古典扱いになって、「現代の小説」編集者からは顧みられないものに分類されているようだ。現代がもとめるプラスアルファー、それを乗り越えるために同人作家たちが現在の需要にこたえるものを書くには年齢が高すぎる、という重大な問題があるのだ。

 大河内さんは、さらに続ける。

 《一方では文壇のみを目指していた同人雑誌が、現在のマスコミの状況に応じて地方文化誌的方向へむかいつつあるのも現実である。それが逃避なのか、成熟なのか、にわかには判じがたい。》

 僕が上にのべたように、NHKや新聞社が募集している各地のカルチャースクール、生涯学習コース
のなかに俳句、短歌、エッセイ、小説などのクラスがあって、そのクラスから新しい同人雑誌が生まれたりする。そこに参加するのは多くは女性たちで、せっせと各種の文学賞に作品を応募して、コピーをとっては別の賞にも送る、それがまた趣味にもなってゆく。
 これは、生活が豊かになった日本の成熟した文化状況の一面であり、世界にも他に例を見ない特異なものではないか。

 文学が小説がどこに向かいつつあるのか。まちがいないことは、昭和30~40年代に栄えていた小説というジャンルの生命がおわりつつあって、生き残りをかけて変貌をとげつつある過程に、いま僕らはいるということ。
 
 他人事のような顔をして、わくわく亭はこんなことを書いたが、大河内さんがいう《そこにさらに年齢の壁が大きく立ちはだかる》現実は僕の問題でもあるのです。

 さて、2007年版『文芸年鑑』の大河内昭爾さんが書いた「同人雑誌’06」には『季刊文科』35号に同人雑誌作家特集として6人の作品を並べたことが記されており、そこにわくわく亭の名があることは、光栄のいたり、です。

 ことのついでに、今月出た『文学界』8月号の同人雑誌評は評論家の勝又浩さんの担当で、タイトルが
「八月十五日の影」。わくわく亭の小説「歌のゆくえ」が論評され、今月のベスト5に選ばれました。

 勝又浩さん、ありがとうございました。