碁の小咄

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 囲碁にまつわる山手馬鹿人の小咄を2つ、紹介しましょう。

 1つ目は『春笑一刻』(安永7年出版)から。


       《碁将棋》

   「どうもひまで、身をもてあますが、なんぞよいなぐさみはあるまいか」
   「それには、碁将棋がようござります」
   「碁と将棋とは、ちがったものか」
   「ハテ、字のあるのが将棋のこま、字のないのが碁石でござる」
    すこし思案して、
   「そんなら、碁を打とう」

 よほど字を読むのが嫌いなお人とみえる。それにしても、そこまでとは、笑ってしまうよね。


 2つ目は、他人が碁を打っているのを見ると、そばから口を出さずにおれないという性格の人の話。現代にも、よくいるんだよ、そんな人。安永8年刊の『鯛の味噌津』から。


      《碁》

    人々よりあい碁をはじめけるが、その内にきわめて助言いいたがるものあり。
   人のうつ碁をわきから見て、「ここを切れ」の「かしこを押さえよ」のと、口を出してやまず。
    碁打ちどもうるさがり、
   「助言のいいたきは、とかく目で見るゆえじゃ。はやく帰りたまえ」と追い出す。
    かの者、聞いて、
   「いかさま、これは、もっともじゃ。おれは見れば目の毒じゃ」とて半町ばかり帰りしに、むこう から2,3人づれにて碁ともだち来る。
   「これはどこへ行き給う」といえば、
   「いまから上の町の碁けんぶつにゆく」という。
    かの者聞きて、
   「おれもいままで見ていたが、あまりまだるくて帰るが、お出でなされたら、ごめんどうながら、 お言づてを致したい」
   「なに用じゃ」
   「どうみても白が勝ちじゃといって下さい」

   
 いる、いる、そんな迷惑なやつ。そんなやつにかぎって、自分がおじゃま虫だと気づかないから、なんとも手の打ちようがないんだ。トホホ、だね。


 上に掲げた写真は川上桂司さんの染絵手ぬぐい「夢の写楽」です。