Y字路
散歩の途中、はじめてY字路にであったとき、どちらにしようかと、迷うことがある。片方が明るい川沿いのなだらかな道で、もう片方が竹やぶ下の暗いでこぼこ道だとしたら、もちろん前者を選ぶ。
そのつぎからは、迷うことなく同じ道を散歩コースとするから、Y字路であることが眼中からなくなる。
91を過ぎた母が死去したあと、しばらく日がたってから散歩の習慣がもどってきた。短い秋につづいて、きびしい寒波がおとずれ、上天気ではあっても、日中も気温はあがらず、日暮れからは冷え込んできた。
風の冷たい日だったが、せっかく復活した散歩の習慣を中断させないためにもと、みずからを鼓舞しながら、白子川沿いのコースへ出かけていった。
そこで例のY字路へさしかかった。十年来のコースになった川沿い道ではなく、はじめて竹やぶ下の道を行く気になったのは、ただちょっとこれまでと違う風景の中を歩いてみようという、それだけのきもちだった。
川沿い道のまわりは新興の住宅地となっていたが、こちらはまだ古い農家が残っており、野菜畑や雑木林もあって郊外らしい風景だった。
その白猫をみとめたのは、サザンカを生け垣にした一軒の古びた住宅の庭先だった。
庭木はもう何年も手入れがされていないようすだし、雑草はわがもの顔にしげっていた。
猫は縁側ちかくの平らな踏み石の上にすわり、ちょうどこちらに顔を向けていた。ほっそりした若い猫であり、片耳と尾のさきだけが黒い特徴には見覚えがあった。
わが家に毎日のように、午後の2時か3時ごろ、どこからか姿をみせていたあの猫ではないだろうか。
どこかの飼い猫なのか、毛に汚れが無く、人をこわがらない。一度は首にスズをつけていたこともあった。
猫がやってくるようになったのは、胸部動脈瘤の肥大で入院していた母が3ヶ月ぶりに、ちょうど退院してきた時期だったから、生活の場所がもっぱら介護ベッドの上に限られてしまった、母の格好のなぐさみ相手となった。
たいていはガラス戸外の濡れ縁にすわっていたが、戸をひらいて室内にいれてやっても、脚が弱ってしまった母のベッドの側にはちかづいても、そこから奥に行こうとはしなかった。
「この子は、鳴かないんだよ。きっと唖の猫なんだね。かわいそうに」
その母の声を聞いて、へえ、猫にも聾唖あるのか、とわたしは意外な思いがした。
「この猫、おばあちゃんが好きみたい。飼い主もおばあさんかもね」と妻が母に話している。
食べ物を欲しがるでもなく、おっとりとしずかに臥している。帰る時間がくると、ガラスを前足でたたくから、それとわかった。
「猫って、そっけないくらい、あっさり帰って行くね」と、ベッドから首をのばして母は、濡れ縁からおりていく猫を見送っていた。
退院してきてから半年たって、母は動脈瘤の破裂で急死した。
あわただしい葬儀もおわり、真新しい仏壇に位牌がはいって、一段落ついたあとで、猫がすがたを見せなくなったことに気がついた。
夕暮れどき、レンタルの介護ベッドがなくなった寒々しい部屋の雨戸を閉めようとして、小さな庭の隅に、あの猫をいくどか眼でさがした。
その猫によく似ているのである。庭の入り口にしゃがんで、私は猫に手を振ってみせた。おまえ、この家の子だったのか。ここから、わが家まで6ヶ月も通ってきたのか。おばあちゃんがいなくなったから、来ることもなくなったのだな。私は胸のうちで話しかけていた。
縁側のガラス戸が開かれて、車椅子にのった白髪の老婦人が、猫になにか食べものを投げてやった。
婦人は猫の相手になっていた私に気がついた。
「この猫は耳が聞こえないみたいでね、鳴かないの。呼んでも聞こえないの」
「こちらの飼い猫ですか」
「いいえ。どこからか、この頃、ふいにやって来るようになって。どこから来るんだかねえ」
日曜の散歩には、Y字路からその家へとつづく道がコースの一部になった。しかし、あの老婦人と猫を見かけたのは、あの日一度かぎりだった。
あれから4,5回も家の前を通ったが、庭の縁側には雨戸が閉まったままであり、どんな事情があったのか、家は無人になったようである。
今日、私は散歩のためにスニーカーをはきながら、Y字路から例の道を、もっとずっと先まで行ってみようと考えた。
あの鳴かない猫が心にひっかかっていて、どこかでいまいちど、出逢いたいと思っている。
(了)
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写真ハガキは中元紀子さんの作品で、尾道の「Y字路」です。