弓場敏嗣氏の『埋門』書評

弓場敏嗣(ゆばとしつぐ)さんは尾道市因島出身で電気通信大学名誉教授。

氏は現在SNSで書評を書いておられる。新刊『埋門』の書評を頂いたので、

掲載させていただく。


森岡久元・著:「埋門」、澪標、2017/4、172頁、1,300円

著者森岡久元は、広島県尾道市出身の郷土作家である。

故郷の尾道に所縁の小説を多作していたが、最近では歴史もの、時代小説に目覚めた模様である。

本書は、江戸時代の犯罪、裁判記録から題材を得た2つの短編小説によって構成されている。


『中橋稲荷の由来』は、江戸南町奉行所の記録に基づく、狐憑き騒動の顛末記である。

狐に憑かれた妻女、祈祷師、奉行所与力が絡む事件の全貌が、江戸の生活とともに描かれる。

東京の其処此処に存在する稲荷神社が建てられた歴史的背景が理解できる。

現代合理主義の世の中では、新たな祠が街角に蔓延ることもなさそうだ。

あるいは、既にインターネットの片隅に、信仰対象を<ネット>あるいは<AI>とする仮想祠が

存在しているのかも知れない。



『埋門』の意味は、広辞苑によると、①城の石垣・築地・土塀などの下方に設けた小門、②裏口に

ある小門とある。著者は日本橋の伝馬町牢屋敷の図面から埋門を発見し、合戦での強固な防御を目

的とした埋門が牢屋敷に利用されていたことに驚く。

別名地獄門と呼ばれていた埋門を出入りする罪人の姿を幻視した著者は、たばこ屋女房おつる23歳

の姿を想い描く。記録では、おつるは庄次郎と牢屋敷で出会う。

その出会いを「衝撃的な恋情に彼らは唐突に遭遇した」と表現している。

牢内での生活、庄次郎の脱獄後の甲州への逃避行が語られる。

この痛切な道行を読むのは、結末を知っている読者には辛い。

著者は過去の不幸な男女を蘇らせ、読者の記憶として生きながらえさせるという功徳を積んだ。