ウオスエの廃業(2)

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路地を通り抜けて国道へ戻る。つぎに港の岸壁沿いにウオスエの看板をめざして歩いた。

港内にはかつては家船として使われたのではないかと想像される古びた木造船がかなりの数繋留されてい

るが、どこにも人影はない。


 ウオスエの吉和工場は閉鎖されていた。小型トラックが一台駐まっており、運転席から中年の男性が出

てきたから,私は声をかけた。

「ここは閉鎖したみたいですが、ウオスエさんはどこかへ移転したんですか」

「解体の仕事の下見にきただけで、詳しいことは知らんのですが、ウオスエはここをどこかに売却したら

しい。駅前の販売店はまだあるんじゃないんかの」
 
「ウオスエは明治時代の創業で鯛の浜焼きは代表的な尾道名産品だったのに、工場閉鎖したとなると、ど

うするんだろうか」

「わしらはよう分からんので、売店で聞いてみてよ」

 バスで駅前に戻った私は、いつも尾道土産を買う福屋デパートの地下にある食品売り場をのぞいてみた

が、五月に来たときには〈桂馬〉に並んであったと思う〈ウオスエ〉の売店はなかった。

 それから二日後、東京の自宅に帰った私はインターネットで検索して、工場や倉庫の売り物件を扱うサ

イトでウオスエ吉和工場が八月末に住宅二棟付きで売りに出されていることを知った。

小説『天皇浜焼き鯛』を執筆中、鯛の浜焼きの由来などを確かめるためネットでウオスエのホームペー

ジを何度か見ていたから、その時点で私はウオスエは今も盛業であると思い込んでいた。そのホームペー

ジも通販の商品案内のたぐいも、すっかり消去されていた。ちょっとしたショックだった。

 ウオスエはどうなったのか知りたいと思った。

知人のいる地元の新聞社に電話をした。それで分かったことは、近年ウオスエは経営不振だったが、つい

に八月末をもって廃業したらしいということだった。

ウオスエの看板が尾道から消えてしまうことは惜しいし、なによりさびしいことだ。

どこかの同業者がウオスエの商標を買い取って、鯛の浜焼きや、私の好物であるデベラにそのブランドを

残してくれないものか、とまじめに思うのである。