雑誌「ゲミュート」
写真は「ゲミュート」というわくわく亭が高校時代に入部していた文芸部の機関誌。
それぞれ50ページほどの雑誌である。よくも失うことなく手許に保存していたもの。
つい先日、当時の文芸部の顧問だった恩師K先生から手紙が届いた。
先生は十年ほど以前に家を新築した。そのときに古い雑誌類がどこかに仕舞われたまま
行方不明になったらしい。
手紙にはハガキのコピーが同封してあって、K先生の後輩の教師H先生からのもので、
文面からすると、H先生は「ゲミュート」数冊を所持しており、それをK先生に貸していた。
K先生から戻された数冊を、紛失を恐れて高校の図書館へ保管してもらうことにした、という
もの。
それを思い出してK先生は、わくわく亭に高校まで行き、事情を話して、図書室に保管してある
雑誌「ゲミュート」を貰い受けて、福山の自宅まで届けてほしいと、手紙でたのんできた
のである。
K先生は90歳だから、福山から尾道の高校まで出かけるのは、容易ではないのだろう。
それは理解できる。
それに、わくわく亭が尾道市立大学の非常勤講師になったことを聞いて、大学へ行くときに
高校まで足を延ばしてきてもらいたい、との思いつきだろう。
しかし、待てよ、と思う。
高校の図書館に保管をたのんだH先生の承諾は必要だろう。
どこにお住まいなのだろうか。
高校の卒業生名簿を調べてみた。在職した教員の名簿も載せてあるからだ。
すると、H先生はすでに故人になっていた。
名簿の編集年からして、7年以上前に亡くなっている。
となると、保管を依頼した方の、いわば遺品を、突然卒業生ですと名乗って訪ねて、
雑誌を貰えるとは思えない。
だいいち、H先生は何年に雑誌保管をたのんだのか。ハガキのコピーを読み直してみると、
昭和62年のことだと分かった。25年も以前のことだ。
いきさつを知っている職員はいないだろう。預けた数冊の雑誌が、はたして見つかるか。
しかも預けた本人は亡くなっている。
そうしたことは省略して、わくわく亭はK先生に簡単な返事を書いた。
何時尾道の高校へ行けるかわからないので、かわりに手許にある5冊のコピーを取って、
順次送ります、と。
昨日コンビニへ行って,雑誌2冊をコピーして、それを今日先生に送った。
今日も3冊分コピーしてきたから、明日送るつもりだ。