志賀直哉と尾道遊廓(2)

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志賀直哉尾道に寄寓した時期が大正元年(1912)11月10日から、翌2年(1913)の

四月上旬までとすると、まずその頃の尾道の地図を見てみたい。

この地図は大正13年8月発行のものだから、志賀直哉が滞在中に見た尾道の町とほとんど変わって

いないだろう。

写真左端近くに、山陽線尾道駅が見える。線路伝いに東(右方向)へ進むと、線路北側に卍と「寶土寺」

の名が見える。その上側に住宅の印がいくつかついているが、そのあたりに志賀直哉の借家はあった。

前には道があって、千光寺へとつづいているのがわかる。

その部分を拡大して見てみる。

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志賀直哉尾道に降り立った最初は、駅前の旅館に泊まっている。光明寺の脇から登山道の石段道

に出て千光寺まで上っている。市内を東へと散策して「酢」の店を見ている。

このときは、すぐに汽船で四国へ行くが、数日して戻ってくると、寶土寺上の借家をみつけて

住むことにきめるのである。

彼は東京へ手紙を出すときには「停車場」まで歩いているが、地図でみるように、借家から

停車場(駅)までは、歩いて10分余りにごく近い距離にあった。

尾道時代に彼は二度目の四国旅行をしている。

尾道から乗ったと思われる四国航路の汽船の写真を見る。

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