毛利和雄解説―講義「私の書いた尾道」

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尾道学入門」講座 「私の書いた尾道尾道三部作から」 尾道大学での作家・森岡久元さんの講義

             (作成: 毛利 和雄 日時: 2012年5月26日 )

大学にとって地域連携は大きな課題となっているが、地方の大学にとっては存立基盤も弱いだけに地域の理解を得ることはより大きな意味を持つだろう。歴史都市として知られる尾道の市立大学である尾道大学は、「尾道学入門」講座を設け、尾道ゆかりの著名人を招き尾道の歴史文化について学生に語ってもらっている。

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第一回は、NHKの朝ドラで尾道を舞台にした「うずしお」の脚本を書いた高橋玄洋さんが小林和作画について語った。小林画伯は山口県の豪商の家に生まれ上京して梅原龍三郎などについて絵を学ぶが、経済的に恵まれた立場を生かし金銭的には梅原龍三郎や林武などのスポンサーであった。その後、小林画伯は尾道に居を移し、尾道をベースに絵を描くが尾道や周辺の画家や画家志望の人々を指導、援助し絵画文化の向上にも尽くした。尾道が絵の町尾道を標榜し、尾道を描いた作品を対象に絵のまち尾道四季展を開催しているのも小林画伯の遺産ともいえる。銀座をベースにパリやニューヨークにも画廊をもつ吉井画廊の主宰者吉井順三を育てたのも小林和作といえる。

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さて、「尾道大学」講座の二番手が、作家の森岡久元さんである。森岡さんは、4歳から18歳まで尾道で過ごした後、関西学院大学を卒業後、上京。サラリーマンを経て会社の社長になるが、高校大学時代に文芸活動に携わっていたものの、永らく遠ざかり55歳から本格的に作家活動に入った。

森岡さんの講義内容は、以下の通りである。(「講義内容のレジュメ)を引用)

1)尾道は故郷です。

尾道三部作・『尾道船場かいわい』2000年、澪標(みおつくし)

      『尾道物語・純情篇』2006年、澪標

      『尾道物語・幻想篇』澪標

2)『尾道船場かいわい』

  「尾道一番踏切」

    夏の姉

    井戸端の日々

    ベッチャー祭のあとで

3)「ふたたび祭りの日に」

4)「尾道船場かいわい」

5)方言の使い方

6)若書きの書き直しについて(大江健三郎

  余生の文学(吉田健一

7)エッセイ「尾道のラーメン」

森岡さんの尾道時代、つまり土堂小学校、長江中学校、尾道商業高校と小学校から高校生までを描いた自伝小説が尾道三部作である。尾道三部作とは、『尾道船場かいわい』(2000年)、『尾道物語・純情篇』(2006年)、『尾道物語・幻想篇』(2008年)で出版社は、いずれも澪標(みおつくし)。

森岡さんは、それぞれの著作の内容を解説するとともに、当時の尾道、つまり戦後、昭和時代の尾道を彷彿とさせる渡船場界隈を描いた場面などを読んで学生に聞かせた。尾道大学は地元出身の学生は少ないのだそうだが、学びの場尾道の懐かしい過去に聞き耳を立てる学生が多く見られた。私も、森岡さんよりは若いが昭和の時代に育ち、尾道に高校を卒業するまで過ごしたので、尾道と瀬戸内の島嶼部を結ぶ渡船場界隈の風景、そこで繰り広げられる人間模様を懐かしく思い起こし森岡さんの話に聞き入った。

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もっとも実際に本を購入してまで読もうとするのは、その地に生まれ、青春の日を送って都会の大学に学んだり働きに出て故郷を離れているような人々が読者層になるので、特定の地方だけを舞台にした小説、地方都市の名前を表題にした小説は読者が限られる、つまりあまり売れないので出版社や都会の大手書店も余り好まないと、作家として業界の内幕にも触れられた。

また、若き日に文芸活動をし、長い中断の時期を経て本格的な作家生活を後半生から始められた森岡さんらしく、大江健三郎が指摘している若書きの書き直しについて引用し,物を書くことについて論じられた。小説のテーマは、その時でなければ書けないものもあるが小説としての完成度は若い時のものは低い。経験を経て成熟した目で見て書き直すとことも大切だ。その意味では、書きためておいて、後で書き直すことによって優れた作品が生まれるので、若い時から書きためておくことが必要だと…

さらに吉田健一の「余生の文学」に触れ、小説家は若い時には生活のたしにするため書き続けなければいけないが、物欲しさを突き抜けた先に文学がある。その例として吉田さんは、ゲーテが代表作のファーストを書き始めたのは50歳からで84歳で書き終え、その数ヵ月後に亡くなった例を挙げている。森岡さんなりの言葉でいえば、若い日の著作は100m競争で全力疾走しているようなもので、ただひたすらにゴールをめざし回りが見えていない。それに比べ晩年の作品は、ジョッギングのように終点のゴールは見えていないが、周りの風景を見て走っている、周りを見渡しながら物が書けるのである。ゲーテが80歳になった時でも、主人公のファーストの青春時代の心を書いたように、歳が行けばいくほど適切な言葉を選んで若い人の気持ちが書けるのである。そうしてみると、「物書きは歳をとればとるほど若がえる」と、森岡さんは、物書きである自分を位置づけられた。

最後に、森岡さんは、作家の壇一雄が「美味礼讃」の中で尾道の朱華園のラーメンについて紹介し、尾道ラーメンの生みの親となったエッセイを紹介し、森岡さんが子供の頃はまだ朱華園は朱さんのラーメンとして屋台で営業していたとの思い出に触れ、映画を見に行った帰りに、そのラーメンを食べるのが楽しみだったと、ありし日の尾道を振り返って話を終えられた。

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尾道出身だが、歴史的港湾都市の鞆に移住し、鞆と尾道を結びつけてまちづくりに携わりたいと思っている小生にとって、一世代近く先輩である森岡さんのお話しに、若き日の尾道を懐かしく思い出すとともに、歳をとればとるほど若がえるのは作家だけではない。それなりに歳を重ねて見えてきた歴史文化を活かして、今後の地域の活性化を図るために頑張らなければと思いを新たにし、励まされたことであった。今回の森岡さんの講義は、学生だけでなく一般市民にも開放された。尾道大学がいかに地域に入り貢献できるか、その点についても改めて感じた次第である。