劇団東演の『どん底』
《明けても暮れても牢屋は暗い。逃げはしたいが、えい、やれ、鎖が切れぬ》
この暗鬱な合唱は、わくわく亭の記憶の底に残っています。
ラジオ・ドラマでも聞いた覚えもある。
しかし、あれから随分年月が過ぎた。
あの暗い、ロシア帝政末期のツァーリ圧制下に呻吟する、プロレタリア階級の群衆劇を
最後に観たり読んだりしてから、長い歳月が過ぎた。
ゴーリキーが「鎖」と呼んだのは、「貧困」のことだった。
貧困という鎖につながれた下層階級の絶望とむなしい地下の「どん底」からの脱出の夢想
を、わくわく亭は「プロレタリア文学」として読むことを習ったものだが、
日本経済の繁栄期を過ぎて、いつのまにか『どん底』は過去の文学、過去の演劇として
記憶の底にしまいこんでいた。
2月27日、わくわく亭は友人のタキザワさんと下北沢の本多劇場で、ロシアの演出家
いや~、これは斬新な『どん底』だった。
モスクワ芸術座スタイルを移入した新劇舞台は、洞窟のような薄汚れた木賃宿のセット
をつくり、ボロをまとった貧者の群れの長々としたセリフ劇というのがおきまりだったが、
これは違った。
舞台には金属製の二段式ベッドが4体置かれただけの、シンプルで幾何学的なセット。
退屈なセリフばかりの劇ではなくて、群衆はだれかのセリフのあいだも、舞台狭ましと
群舞する、あるいはベッドの上下に起ったり横になったりと象徴的なパフォーマンスを
見せて、舞台全体でドラマティックな画像をつくりつづける。
もちろん、光や音楽、合唱や、ハミングなどの効果でダイナミックな舞台を造形して
飽きさせない。
ブロ-ドウエイの音楽劇を観るようなエネルギッシュな演出なのだ。
もちろん、テーマは「貧困」という鎖からの解放に変わりはないが、
人間はいつか救われる、という願望や希望は、理不尽にもうちくだかれるものという冷酷な
現実をつきつけるが、それでも救われるという願望は未来の世代へと託される。
日本でも、ロシアでも、貧困の鎖から自由になったはずなのに、人々は別な鎖のかずかずに
苦しんでいる。人間にとって、鎖となるものに種はつきない。
豊かな日本になったはずなのに、餓死をする家族が見つかるし、戦後の貧困時代ですら
なかった自殺者の,毎年3万人という数。
見応えのある東演の『どん底』でした。
3時間の上演時間。
われわれは井の頭線で吉祥寺に出て、居酒屋に滑り込む。
5時半から9時半まで、4時間もしゃべっていました。
バスで大泉学園にもどり、帰宅したのが10時半で、
女房が「どこかで倒れていて、警察から電話があるかも知れないと、電話番をしていました」
といわれて。
なにしろ、数々の事件をおこしているわくわく亭ですから。