友を悼む

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3月11日に東日本大震災があった。

その3日後に、年下の友人で『芥川龍之介の愛した女性』(彩流社)など優れたノンフィクション

の著作がある高宮檀さんが急死した。

それを知ったのは、ほんの数日前のことだった。

なぜ訃報に接するのに、それほどの日数が経ったかというと、彼は一人暮らしで、近くに

身寄りがいなかったためだった。

3月13日午後に自宅近くの路上で倒れたらしい。

近所の人が見つけて救急車で病院へ運んだのだが、14日早朝死亡したとのこと。

死因は心筋梗塞だったらしい。

警察が調べて、岩手県に親戚がいるのが分かって連絡したが、なにしろ大震災で

電話も通じなければ、新幹線もJRもストップしていたから、その親戚が上京して

遺体の引き取りができたのが3月の下旬で、近親者と近所の親しい数人とで弔ったということだった。

それからはじめて、各方面の知人、友人をしらべて連絡をしたのだから、

わくわく亭に訃報が届くのに、そんなに日数を要したわけだ。

5月に彼を偲ぶ会が予定されている。

それにあわせて追悼の文集をつくるということで、わくわく亭はすぐに書いて送った。


それにしても、唐突な不幸だった。

あの大地震の数日後に彼から電話を受けている。

今考えて、13日の日曜日、彼が倒れた当日だったかも知れない。

地震の被害がないか、といつもの元気な調子で彼が訊いた。

「屋根瓦が2枚落ちただけだった。あなたのところはどうだった?」

「ちょうど家の前を歩いていて、なんだかちょっと目まいがしたな、と思っていたら

あの地震でした。被害はなかったですよ。ところで、3月の29日に、立川で音楽会を

やるので、よかったら来て下さいよ」

「いいよ」

「チラシとチケットも送りますよ」

「いくら」

「3000円」

「いい値段だね」

「へへへ」

そんな会話があって、待っていたのだが音楽会の当日になるまで、なにも送られてこなかった。

それを不思議にも思わなかったのは、東京では連日計画停電が実施されていて、会場がある

立川も停電予定グループに入っていたので、音楽会は延期したものと考えたからだった。

事実は、わくわく亭に電話をくれた翌日か、あるいはその日に、心筋梗塞を起こして路上で

倒れたのである。

東北では津波によるおびただしい犠牲者の数が、まいにち積み上がっている。

そして、地震被害をまぬかれた東京の住宅地で、路上で倒れ、そのまま逝ってしまった

7歳年下の友人である才能ある作家。

友達となって12年。これから10年以上は交際できると思っていたのに。

唐突な、あっけない彼の死が、まるで、大震災の犠牲になったかのような気がしてくるのである。