日本の少子化は世界を救う?
影響している。
さまざまな角度から、専門家が情勢の分析、解説をしている。共通しているには、独裁政権、
国民多数の貧困と格差、そして食糧問題(インフレ)があげられている。
わくわく亭は、かねてから地球というバスに乗って、一体どれだけの人数が食事をしながら
太陽のまわりを秒速30キロメートルという猛スピードで回っていられるのだろう、
という疑問をもっている。
バスには乗客の限界定員がある。
もうこれ以上は、どんなにぎゅうぎゅうに押し込んでも、いつかは限界に達して、乗り切れない
人数がでる時がくるだろう。
それは、いつなのか。
地球上で、おびただしい生物の種が、加速度的に絶滅している。人類だけが爆発的に増殖している。
人類は穀物を増産し、家畜を魚類を養殖して、食糧にしてきた。
いくども食糧増産の限界が叫ばれながら、膨大な饑餓人口を抱えながら、地球バスは走り続けては
いる。饑餓あるいはそれに近い衰弱による死者は、毎年1億数千万人といわれている。
すでに、バスに乗れなくなった犠牲者なのだ。
食糧は足りている、問題なのは食糧の分配方法であり、政治や社会的システムの不備が原因だ
とも言われ続けてきた。
それも原因にちがいない。
だが、バスの定員という限界が、だれも言いたがらないが、それが近くなっている現実が
あるのではないか。
人類の人口爆発によって、全人口を食べさせるだけの食糧が慢性的に不足しているのではないか。
世界のどこかの穀倉地帯で干ばつや水害があると、食物相場は高騰する。米の高騰で、アジアや
アフリカでは暴動が起きるようになった。
食糧価格の高騰やインフレは、世界中の貧困層を饑餓状態に追い詰める。
アメリカや先進諸国のマスコミは、民衆蜂起が「自由」「民主主義」を求めた社会運動という
角度から捉えるのが普通だが、その根底に「食糧問題」があるのではないか。
ロシア革命でも「パンをくれ」と民衆は叫んでいた。
チュニジア、エジプトでも、失業問題は国民の不満爆発の主たる動機だが、1日2ドル以下で
生活している人口が国民の40%いるという。かれらには満足な食糧は手にできない。
食糧問題は、21世紀の世界を不安定にする、最大の要因になるだろう。
国連の世界食糧計画の資料を見ると、世界人口65億人(現在は69億2000万人)を
養うだけの食糧はあるのだが、輸送や分配の不合理によって、9億2500万人が飢餓状態に
あると推定している。全人口の7人に1人が饑餓に苦しんでいることになる。
その饑餓人口の分布は、
アジア 5億7800万
サハラ砂漠以南のアフリカ 2億3900万
中南米 5300万
中東・北アフリカ 3700万
エジプトは人口が8000万人で、その40%が1日2ドル以下で生活する貧困層
だから、エジプトだけでも3200万人が満足な食糧を手にできないことになる。
かれらは一旦火がつけば、「パンをよこせ」と民衆蜂起するだろう。
世界人口は、いま毎年8000万人ずつ増加している。
毎年エジプトやドイツの総人口に匹敵する人口の増加をみている。
これで、食糧が足りるのだろうか。
小麦に換算して、1日1人3500カロリーを食べると計算すると、世界の生産する食糧では
50億人しか生きられない、と計算している。
また世界中がアメリカ人並の食生活をしたと仮定した場合、地球上で生きられる人口は
29億人、という計算を金沢大学がしたそうだ。
2億トン、漁獲量1億トンの総計21億トンだそうで、それを無駄なく使って生きられる
人口はおよそ58億人だとしている。
これらの数値を見ると、どうしても、われわれが乗っている地球バスから、はみだす おびただしい
人口がいる計算になる。
ここで、世界人口の爆発ぶりを見てみよう。
キリストが誕生した紀元元年の推定世界人口は、3億人とされている。
なかなか人口は増えなかった。
1600年 (江戸幕府が開かれた3年前) 5~5.5億人
1868年 (日本の明治維新の年) 13億人
世界人口は現在の中国1ヶ国の人口と同じだった。
1965年 A・C・クラークが映画「2001年宇宙の旅」脚本を書き、その中で
地球人口は30億を超えて生きられないから、宇宙へ移住するとしているが、
昨年2010年、彼の予想をはるかに超えて69億人となった。
2010年 69億突破
2025年 予想は80億人
2050年 予想は95億人
今日でさえ、9億人が饑餓状態にあるのに、14年後の2025年には、20億という
とほうもない饑餓人口が発生する可能性がある。
世界各地で、食糧危機を原因とする暴動や混乱は日常茶飯事になるのではないか。
「自由」や「民主主義」の前に、「パンをよこせ」と20億人が叫ぶのではないか。
さて、そのころ日本では人口は減少を続けていることだろう。
100年後には現在の1億2800万人から5000万人に減少するそうである。
三四郎が本郷の下宿屋のまわりを歩いている時代で、どこにでも借家があった。
そんな日本に世界はあこがれるだろう。
世界は「少子化」に成功した日本に学ぼうとすることだろう。
そして、日本の少子化は世界を救う、と国連で讃えられるのではないか。